竹取編 02




 日本人なら中学生以上、かぐや姫と言えば小学生でも知っている。今はむかし竹取の翁といふものありけり〜から始まる文句を覚えさせられた人間は、決して少なくないのではないだろうか。かくいう俺も、妖怪の寺子屋に通っていた頃覚えさせられた。
 妖怪だろうと人間だろうと、日本に住む者なら必ず習う、我が国最古の読み物。それが竹取物語である。
 むかしむかし、どこかのとある爺さんが山へ竹取りに出かけたところ、一本だけ金色に光るものを見つけた。切ってみると中には小さな少女がおり、それがあんまり愛らしかったもので、爺さんは少女を家に連れて帰った。
 少女はかぐや姫と名を付けられ、やがて絶世の美女に成長する。
 単純な男どもはこぞって求婚しに来たが、誰が行っても姫は首を縦に振らない。困った姫は特にしつこい五人に、自分が指定した道具を持ってくれば結婚してやると題を吹っかけた。
 仏の御石の鉢。蓬莱の玉の枝。火鼠の皮衣。燕の小安貝。竜の首の玉。
 いずれも実在しないと言われた伝説のアイテム。一休さんでもお手上げものな無理難題である。俺ならばこの世界にRPGのダンジョンはないのだぞ無茶言うな、と放り出しているところだ。
 物語でも結局、誰も指定の道具を持ってくることはできず、やがて期限が来て――かぐや姫は不老不死の薬を残し月へと帰ってしまった。
 あらすじはこんなところであろう。
 しかし何故、現代の京都にひょっこり顔を見せたのか。
 というかそれらは本物なのか。桜の木がいきなり変化したのか、木がまるごと摩り替わったのか。
 誰かの策略か、陰謀か。だとしたら目的は?
 道すがら三人で論争してみたが、答えなど出るはずもなかった。


 紅葉亭は入り口に清潔な暖簾がかけられた、木造の店だ。看板は出ていない。隠れ処的である。控えめというか、恥ずかしがりな店主なのだ。いつも一人でぽつんといて、でもそれが好きだから全く周りを気にしないような奴だった。
 硝子の引き戸を開ければ、ベルがチリチリと涼しげに鳴る。
 出迎えたのは人好きのする笑顔だった。
「いらっしゃい」
 さらさらと柔らかそうな茶髪。線は細い。そのせいで左目が黒い眼帯で覆われているのが余計痛々しく見える。ゆったりした水色の浴衣にエプロンというラフな格好で、厨房に立っている。
「あ、みんな」
「よ」
 カウンター席に三人並んで座った。
「生姜焼き定食二つな!」
「あとオレンジシャーベット一つ」
「はいはい」
 皐月はにこにこと返事をする。その笑顔は寺子屋時代と全く変わっていない。
 皐月は狐の妖怪である。左目の眼帯は出会う前から付けていた。何でも幼い頃に厄介な陰陽師に遭遇してしまい、妖力の大半を封じられ、目に大怪我を負ったらしい。そのせいで妖怪としてはかなり弱い。妖力も普通の人間より少し強いくらいだ。物腰が柔らかいこともあり、寺子屋時代も他の妖怪になめられることは少なくなかった。
 が、皐月に突っかかってくる奴は正斗が全力で蹴散らしていたので、奴もそれほどまでに困ったことはないんじゃないかと思う。
 正斗は短気な上に曲がったことが大嫌いな性分なのだ。要するにガキ大将気質なのである。面倒見がいいこともあり、正斗はよく皐月に世話を焼いていた覚えがある。
 ちなみに、同級生の男子の大将が正斗なら、女子に好かれるタイプの大将は篝だった。
 そして俺は特に何もしていないのに、奴らのストッパーとして一目置かれていた。
 だいぶ前に過ぎ去った時代の思い出だ。一番付き合いが長いのは正斗と篝で間違いないが、改めて思い返すと皐月も相当古くからの馴染みである。
 接点は小さいが、俺達が定期的に店を尋ねるため、関係は細々と続いている。
「皐月は聞いた? 四条大橋の桜の木。真珠のなる金の木に変わってたとかで、今外大騒ぎだよ」
「ほんま。警察まで来てな、もう祭りみたいやで。こっち来るん大変やったわ」
 篝と正斗の言葉に、皐月は首を捻った。
「いや、知らないなぁ。昼時でさっき一段落したところで、僕もあの子も外に出てないんだ。お客さんもそんなこと言ってなかったし」
 あの子、というのは、店内をせかせか闊歩しているバイトの娘さん(何かはわからないが妖怪のようである)のことだろう。
「あれは明日のニュースで絶対流れるだろうな」
「そんなに? お客さんはけたら見に行こうかな……」
 茶碗いっぱいの飯と味噌汁が、右手の二人に渡される。
 続いて俺のシャーベット。
「ところで秋隆、その縫いぐるみ可愛いね」
「これか?」
 足元に下ろしたリュックからは、黄と黒が存在を盛大にアピールしていた。
「こいつらがUFOキャッチャーで取ったのを押し付けられたのだ。俺はいらないし、よかったらもらってくれないか」
「えっ、いいの?」
「むしろこちらがそう聞きたい」
 リュックを引っ張り出そうと屈んだ瞬間。
「あー……でもうち、夜はたまにプロ野球観戦してることがあるからなぁ」
 手が止まる。
「阪神?」
「阪神」
 俺は顔を上げた。
「ごめんね秋隆」
「いや。球団のファンの団結力は、正斗に連れて行かれたときに嫌と言うほど見せ付けられたからな」
 下手に顔を合わせると戦争が起きそうな気迫であった。
 すまなそうに笑い、料理作ってくる、と言って、皐月は奥へ引っ込んだ。
「ああいうのを見ると人間にも阿呆の血が流れているな、とつくづく思う」
「バーゲンの戦争とか見ても思うよね……」
 スプーンでアイスを掬った。外は初夏らしく少し暑かったので、しゃりしゃりとした食感とさっぱりした冷たい甘さが骨身に染みた。
 カウンターのあちら側からじゅー、という音とともに、甘辛いタレの匂いが漂ってくる。なんとも食欲をそそられる香りだ。悪友二人がひどく羨ましい。次来たときは生姜焼きを頼もうと、とりあえず今決意する。
 またベルが鳴った。
「いらっしゃーい」
「林葉さんこんにち……あ」
 挨拶をしたのはどうも聞き覚えのある声である。
 振り向くと、やはり見覚えのある少年が二人、戸口に立っていた。
 どちらも黒い学生服を着ていて、整った顔の部品一つ一つが瓜二つ。しかし前の子は大人しそう、後ろの子は生意気そうな顔つきで、そっくりなのになんとなく見分けがついてしまう。内面の差がどうしても出てくるのだろう。
 前を歩くは弟の白石遼弥。後に付くは兄の白石裕也である。
 大阪の高槻に門を構える陰陽師一家の息子達で、京都まで名が轟くほど優秀な兄弟だ。同時に悪名も高い。捕まったら奴らの式の餌にされるとか、いやむしろ奴らに食われるだとか、阿呆な噂が耐えない。
 もっとも、本当に根性がねじ曲がっているのは兄だけだが。
 蛙にとっての蛇、鳥にとっての猫みたいなものだ。
 開口一番、兄の方がジロリと俺達を睨んでくる。
「なんだ、おまえ達まで来てたのか。最近顔を合わせなくて清々していたのに」
 兄さん、と弟が咎めるように言うが、裕也は全く動じない。
 迎え撃つは三人で一番気が短く、精神年齢の低いツナギ男だ。
「そりゃこっちの台詞や。なんでおまえこんなとこにおんねん」
 漬物をばりばりやりながら話す。俺としてはうるさいことこの上ない。
「ここの親子丼が食べたくて来ただけだ。そっちこそ何してる」
「ここの生姜焼きが食べたくて来ただけですぅー」
「おまえは小学生か正斗」
「すみません。皆さんご無沙汰しています」
 遼弥がぺこりと頭を下げ、篝がくすくす笑った。
「うん、久しぶりだね。元気かい?」
「おかげさまで」
「遼弥。こいつらは妖怪なんだから、僕らはご無沙汰していた方がいいんだぞ」
「あ、そうか」
 まさに陰と陽。生きる太極図とはこの双子のことだ。
 不機嫌に鼻を鳴らし、裕也はドア近くのテーブル席へ足を向ける。ちょうど俺達の背後に白石兄弟が陣取る構図である。
 午後一時を回ったこの時間、客は俺達しかいないため、店は一気に険悪な空気に包まれた。
 注文を取りに行かねばならないバイトの子が不憫だ。俺はとりあえず空気の改善を試みることにした。
「しかしおまえ達、何故こんな時間にこんなところにいるのだ。学校は?」
「今日は職員会議で昼までなんです。で、久しぶりに市内に」
「遼弥はともかく、裕也がここに来るとは意外だな」
「なんでだよ」
「ここの店主は妖怪だぞ? おまえ達も気付いているだろう」
 皐月は知らないだろうが俺、正斗、篝が双子と会ったのは二年ほど前の話であり、俺達は敵同士だった。俺達は年相応の強さだったし、白石双子は年不相応に強かった。お互い一歩も退かず一歩も退けず、祓うか祓われるか、命懸けの戦いを繰り広げたのだ。事が終わった後で和解し、顔を見れば挨拶くらいはするようになったが。
「おまえは妖怪が嫌いなのだと思っていた」
 ここの親子丼が食べたい、という台詞は、前にもそれを食べていないと出てこないものだ。悪名が全て作り物だとは言わない。どう聞いても嘘だろうというものは沢山あるが、裕也が妖怪に対して容赦ないのは自他共に認めている事実だ。さらに裕也はどんなに高等であろうと、妖怪には偉そうで生意気である。人間相手だとどうなのかは知らないが、少なくとも弟の遼弥には優しくしている。
 だが裕也のつんけんした態度は、俺達が嫌いというより妖怪相手だからそうしている、という感じなのだ。
 裕也は足も腕も組み、冷めた目で机を睨んでいる。
 しかしやがて、
「――心配せずとも嫌いだよ」
 奴は言った。
「だが下手な人間よりマシな奴がいるのは知ってる。妖怪は嫌いだが、そういう奴は嫌いじゃない。付き合ってやってもいい。それだけ」
 あくまでも上から目線。だがむしろ可愛げすら感じるのは、普段が普段なせいか。
「ケ! 生意気言いよって。何が付き合ってやってもええや偉そうに。ご飯おかわり」
 茶碗をずいとカウンターに突き出し、正斗が毒づいた。この表情はむしろ言葉と逆、茶化すときに奴がするものだが、こいつも大概素直じゃない。
 裕也は薄ら笑いを浮かべ、正斗に目を向けた。
「は? 何だよ喧嘩売ってるのか?」
「おまえがそう思ったんなら、そうなんやろ」
「いいね、前のときは決着つかなかったしな。面白いじゃん」
 組んだ腕の先、右手を下に振って。裕也は一瞬にしてお札を指先に挟んでいた。四枚ほどの札がざらりと広がる。まるで扇のようだ。
 鬼と陰陽師は睨み合う。
 俺が言い出す前に、味噌汁を啜っていた篝が口を開いた。
「こらこら、店の中では迷惑だよ」
「同意だ。そんなに戦いたいなら腕相撲でもやれ」
 適当言ったのだが正斗はおお、と歓声を挙げ、
「名案やな。それで勝負や小僧」
 箸をびしりと裕也に突きつけた。
「まあ俺も鬼やでな。七枚までやったら札使うん許したる」
 正斗の特性は馬鹿力。普通に戦えば裕也の負けは目に見えている。当然のハンデだ。
「んで俺が負けたら天狗の扇! 譲ったろやないか」
 ただ完全なる蛇足と共に、正斗が俺を指さしたのは何事か。
「――オーケー。やろうじゃないか」
 しかし裕也は口元を三日月の形に吊り上げ、凶悪な笑みを浮かべた。完全にその約束でスイッチが入ったという顔だった。
「ただしこっちが負けたら、これ」
 スクールバッグをごそごそやり、八卦を取り出す。
「結界破り用のやつだ。やるよ」
「ええなぁ。燃えてきたなぁ!」
 正斗は右手で拳を作り、左手にぱん、と当てる。こいつが気合いを入れるときの癖である。が。
「おい、人のものを勝手に質に入れるな」
「別にええやん、風くらい自分で起こせや」
「ふざけんな馬鹿鬼」
「頼むでアキー!」
 俺は溜め息を吐いた。
「……しょうがないなおまえは。ただし絶対勝てよ」
 まあ、正斗がひょろひょろの高校生相手に負けることもなかろう。
 正斗は諸手を挙げて喜んだ。愛してるだのさすが心の友だの言われたが、小気味いいほどに嬉しくなかった。
「穏便に済ませてくださるのはありがたいですが」
 と、場に凛とした、強い声が落ちた。俺も耳馴染みのない声である。というか女の声だった。
 全員の視線がバイトの少女に集中した。
「くれぐれも場外乱闘はしないでくださいね」
 彼女は表情筋をぴくりとも動かさず、澄ました顔でそう言い放った。
 まさに無表情。しかし感じる。彼女はきっと、こう思っているに違いない。

 男ってホント馬鹿。


 かくして人間対妖怪の腕相撲大会は、紅葉亭二番テーブルを舞台に幕を開けた。

 赤コーナー、陰陽師、白石裕也。
 青コーナー、鬼、鹿谷正斗。
 観客は五人、めいめい頼んだ料理を手にしている。
「どっちが勝ちますかねー、真田解説員」
「俺には検討もつきませんね伊澄実況員」
「冷めないうちに早く終わらせるんだよー。あ、遼弥くん食べてていいよ」
「は、はい! いただきます」
 客席の面子が面子なせいでどうも緊迫感がない。
「よっしゃこい! アキ、審判!」
 さっきまで必要もない準備体操を念入りにやっていた正斗が、ようやく体をこちらに反転させた。
「シャーベットが溶けるから嫌だ」
「じゃあ篝!」
「生姜焼きが冷めるから嫌」
「私がやりましょうか」
 申し出たのはバイト少女である。
「お、おう、じゃあ頼むわ」
 正斗は大っぴらに驚いた、というより動揺している様子だ。これだからあいつはモテないのだ。
 裕也は澄ました顔で座席に腰を下ろしたままだ。正斗が正面の席に座り、ようやく腕を机に出す。やる気がなさそうに見えて、左手にはさっきと模様の違う札が握られていた。正斗は勝気に笑って右の手を取る。
 肘をつき、まっすぐに睨みあって。
「準備はいいですね?」
 バイト少女がどちらかに傾かないよう片手で覆い、号令をかける。
 緊張の一瞬。
 しん、と店が静まり返り、そして。
「いざ尋常に……始め!」
 ゴングが鳴った。
 瞬間、両腕が大きく正斗側に傾いた。
「おーっといきなり行ったね」
「札を使われる前に倒すのが最善策だからな」
「でもそれってハンデある意味ないよね」
「まあいいんじゃないか」
 どうでも。
 正斗が退けたことで空いた席に収まった遼弥は、頼んだ天ぷらうどんを啜ることも忘れておろおろしている。
 裕也の顔からは余裕が消えていた。歯を食いしばり、手の甲が付かないように必死で力を入れている。札が三枚消えていた。高校生の細腕ではまあ、それくらいの力差があって当然だ。
「何やへなへなやな」
 正斗が得意げに言って裕也を挑発する。
 篝の隣に座った皐月が、「裕也くんがんばれー」と声を掛けた。
 ずずず、と篝が味噌汁を啜る音。
「高校生相手に大人気ないね」
「それが正斗だろ」
 その時裕也が人差し指に挟んだ札を、頭の上に掲げた。
「よんっ……まい、め!」
 札が消えた。
 押さえつけられていた天秤が、ぐぐぐぐ、とゆっくり持ち上がる。
「うーん、これは裕也の負けかもねぇ」
 篝は既にカウンターの方に顔を向けていた。
「おまえもう飽きただろ」
「生姜焼きへの興味の比重が大きくなっただけだよ」
 俺はそうはいかない。なんたって大事な扇がかかっている。
「正斗、早く終わらせてしまえ」
 シャーベットにスプーンを突き立てる。もうあと一口ほどしか残っていない。
 正斗は空いた方の手をひらひら振る。まさしく余裕である。しかしこいつは油断した後にヘマをやらかすので、死亡フラグを立てるのはやめてほしい。
「五!」
 また札が一枚消え、正斗の手が持ち上がる。
 まだまだ正斗優勢ではあるが、札はあと二枚残っている。
 札というのは描かれた陣――出力の大きさ――と、術者の込めた妖力――掛けたエネルギー――によって威力が決まる。裕也の持つ妖力は人間にしては多いほうだ。札を五枚使ってもまだ、残りはかなりある。つまり札二枚に全力を注げば、戦局を逆転させられる可能性はあるわけで。
「おい正斗、そろそろ本気でや――」
 俺は少し言いだすのが遅かった。
 裕也がにやあ、と嫌な笑顔になり、
「六七!」
 と全力を込めて札を使いきったのだ。
 同時に腕を渾身の力で倒した。正斗が最初やろうとした、不意討ちの奇襲作戦である。
 結果、見事に引っかかった正斗の手が、勢いよく反対側に叩きつけられた。
 ばしいん、と机が真っ二つに割れたんじゃないか心配になるくらいの轟音が響いた。
「おー」
 皐月の拍手。何故かまだおろおろしている遼弥。
「え、何終わったの?」
 付け合せのキャベツをもひもひ食べながら、篝が振り向く。
 バイト少女が無表情で、勝者を表すように裕也の手を挙げさせていた。
「……この馬鹿」
 俺が頭を振ると、正斗はわけがわからない、というように目をぱちくりさせ、
「……あれ?」
 と呟いた。

 結局扇は白石裕也に取られた。約束なので仕方がない。後で正斗は叱り倒しておいた。敵に塩を送るような真似をしてどうするのだ。これで白石双子に祓われる同志が増えてしまうのである。
 遼弥の方が申し訳なさそうに何度も謝ってきたが、悪いのは全てこの阿呆だと言っていなしておいた。