竹取編 01



 我が母校・座友館大学で学食のラーメンに舌鼓を打っていると、急に携帯電話が鳴った。
 狭苦しい画面に表示された名前を見、顔をしかめてから応答する。
「麺が伸びるから要件は率直に」
『暇』
 切った。
 ついでに電源も切った。
 ここの醤油ラーメンはなかなかにうまい。学食らしいプライスレスなお値段でこの味なら文句なしだ。毎日厨房でせっせと働くおば様方に感謝しつつ、唐揚げを頬張る。柔らかい鶏肉は漬け込んだタレの味がよく染みていて、これまた非常に美味である。うちの学食は非常に優秀だ。
 全てぺろりと平らげ、満腹したところで席を立った。おば様方に挨拶をして、食器類をカウンターに返す。
 そのとき何気なく精算レジを見たのはなんの偶然か、運命の悪戯だろうか。
 大層周章した様子で財布を見、おろおろと視線をさまよわせている女学生を、目が捉えた。
 イマドキの大学生にしては珍しい、まっすぐな黒髪のロングヘア。目は二重でぱっちりと大きく、お月様のように真ん丸で実に愛らしい。服装も派手すぎず地味すぎずのワンピースとカーディガンで、彼女にとてもよく似合っていた。
 正直に言おう。俺の好みど真ん中である。清純黒髪美女など今や京都にだっていやしない。これは救いの手の登場のしどころだ。
 そう確信した俺はつかつかと歩みより、レジのおば様と妥協案を重ねている彼女に、
「あの、落としてましたよ」
 と、まだきらきらに輝いている、今年度製造の五百円玉を摘まんで差し出した。
「え!? あ、ありがとうございます!」
 見た目に似つかわしい可憐な声を挙げ、彼女はすぐそれを受け取る。きっと、何故見ず知らずの人間が金を出してくれたのか考える暇もなく、正直に信じてしまったのだろう。腹が減ったと鳴く自分の財布の声は無視した。こんな貧相な財布の中身などどうでもいい。うら若き美少女の腹が膨れるなら満足である。
 それ以上は何も言わず、俺は心持ち背筋を伸ばし、胸を張って食堂を去った。気分は地下の、洒落たバーのジェントルマンだ。
 三回生にもなると、よく言えばゆとりのある、悪く言えば中弛みした生活になってくる。一・二でがむしゃらに頑張ったおかげで、毎年必修授業を取っておけば卒業単位など余裕に取れる。それが俺の堕落にさらに拍車をかけている。
 つまるところ、今日は午後から授業がない。
 さてさて、何をしようか。
 キャンパスを出、最寄りの駅に徒歩で向かう。途中、ふと思い出して携帯電話の電源を入れた。ちゃちい機械は、ポケットに仕舞わないうちにぶるぶる震え出した。
「何の用だ」
 電話口から漏れだしたのは、やや早口の関西弁だ。
 我が悪友兼幼馴染、鹿谷正斗(かのやまさと)のものである。
『今から新南極でもぶらぶらせぇへん? 今日は篝来とるで』
「奴がいるとは珍しいな」
 多忙とか言ってほとんど顔を見ないのに。そのコンビだとさぞかし人込みの中で目立っていることだろう。
「わかった、今から行く。二十分ほどかかるが」
『ほな、いつものとこで待ってんで』
「あいよ」
 通話を切ると同時に、プラットフォームに車体が滑り込んできた。
 小豆色のボディが独特の阪急電車は、ほどよく冷房が効いて涼しかった。昼間のために乗客は少ない。シートに座り、ぬくぬくと移動する。自分で空を飛ぶより遥かに楽だ。

 京都は妖怪の街である。画図百鬼夜行に描かれるような有名妖怪、昔話のお化けどもがぞろぞろぞろぞろ、人の中に紛れている。
 かく言う俺も、四代に渡る由緒正しき烏天狗の一家。空を飛び回り、風を起こし、馬鹿騒ぎ八割・山の守護二割を生業とする真田家の次男坊だ。
 そんな俺が何故大学に通っているかというと、まあ、四年ほど無駄な時間を過ごしたところで何も困りはしない身分にあったからだ。未知だらけの人間の世界も嫌いではなかった。むしろそちらから学ぶことは、山のようにあるだろうと思っていた。
 しかし当然のことであるが、現代日本の大学に通うのはとかく金がかかる。収入がなくても生きていける妖怪は、当然そんな大金を持っていない。だが数年前の百鬼夜行――京妖怪最大の祭りのイベントとして開催された宝くじで、俺は一等賞を引き当てていた。商品は億単位の金。大学へ行くには充分な額である。
 金銭面の目処が立った俺は猛勉強し、座友館大学に入学した。
 他の妖怪衆からは珍しがられたが、悪友二人は羨ましがり、けなしつつも背中を押してくれた。
 ふらふらしてはいるが、体には天狗の誇りと力と阿呆の血が流れている。それが俺、真田秋隆(さなだあきたか)の現在のステータスである。

 終点の河原町で降り、九番出口まで行く。地上へ繋がる階段の正面に、悪友達は壁に凭れて立っていた。
「貴様ら、いい加減普通の格好をしないか」
 俺が呆れて声をかけると、正斗はおおと言ってこちらを向いた。いつもの着古した青のツナギを着ている。わざわざ脱色した茶髪に目つきの悪さが加わり、いかにも遊んでいそうなチャラチャラの若者という感じだ。
 その影からにこにこしているのは、腰まである黒髪を緩く後ろで縛り、夏なのに和服を着込んだ女顔の男。纏う雰囲気がいかにも胡散臭い。こちらは我が悪友その二、伊澄篝(いすみかがり)である。
 見た目からしてなんともちぐはぐなコンビだ。俺の大学生然としたTシャツにジーパン姿が混ざると、さらに奇天烈な団体になるのが困りものである。まあ、誰が混ざろうと妙な三人組になるのは違いないのだが。
「やぁアキ。久しぶり」
「ああ。しかし相変わらず鬱陶しい長髪だな、さっさと切れ」
「ほんまやわ。日本妖怪たるもん、そんなチャラチャラした格好するもんやない」
「ええ。俺はもう少し伸ばしたいくらいなんだけどなぁ」
「せめて三つ編みにするんやったら、俺は許したる」
「おお、いいじゃないか。漫画に出てくる胡散臭いエセ中国人のようだ。篝ならきっと似合うぞ」
「うーん、考えておくよ」
 顔を合わせると篝の髪形非難が始まるのは、もう恒例行事と言っていい。本人は毎度困ったように笑いはぐらかし、結局切らずじまいで終わる。きっと切ったところで俺たちが「つまらん」と言うのがわかっているのだろう。
「今日は店番はいいのか?」
 篝は昼、入町柳にあるおじの骨董屋――碇屋で働いている。そして仕事が終わった後や休日は、街で引っ掛けた京美人達の家を点々とする。
 伊澄篝の付き合いが悪い理由は、どちらかというと後者にある。俺は授業があるし、毎日ではないとはいえ正斗も仕事がある。遊びに繰り出すなら当然夜である。篝はその時間を女性達との交流に当てているのだ。捕まえた一人ひとりをよく観察し、折を見ては姿を現して、うまいこと心を繋ぎとめておく。もはや皿回しに近い。その要領のよさを他のことに回せばいいのにと、俺は常日頃思っている。
 ……羨ましくない。決して羨ましくなどない。
「それがすごいれあものの鉢が店の中から見つかったとかで。今日は休みなんだ」
 篝はちょいと肩をすくめてみせた。その言葉に少々興味が湧く。
 あの埃くさい、灰色がかった物かガラクタにしか見えない物だらけの店から、そんな大層なモノが出るとは。奇跡に近い大事件だ。
「ほう。れあものとは?」
「まーそれは後でええやん。上行こうや。ていうかアキちゃん、さっきから心なしかニヤニヤしてへん?」
「してない」
 篝が返事をする前に俺達二人の肩を抱き、正斗はぐいぐいと背中を押してきた。
 仕方なく階段を登り、新町通に出る。右も左も店だ。各々の売り物がずらりと並び、見目華やかである。休日に比べ人は格段に少ないが、活気と生気に満ちた風景は胸を弾ませてくれる。
「安いな。買おうかな」
 店頭に飾ってある千五百円の甚平を見、篝がぼやいた。
「どうしておまえはそう和服ばかり着たがるんだ?」
「風情があって好きだからだよ」
 洋服の方が着脱が手軽でいいと俺は思う。
「でも上と下を合わせたり靴を合わせたり、面倒ではないかい?」
「確かに。それは一理あるな」
 着物ならそういったことで悩む必要はない。
 俺が頷くと正斗が頭の後ろで手を組む。
「着物は動きにくいし、すぐ着崩れするやん。俺はそっちの方がめんどいと思うけどなぁ。夏は暑いし冬は寒いし」
「おまえも夏でも冬でもツナギではないか」
「今はツナギも洒落とるって言われるんやぞ。見習わんか」
 誇らしげに胸を張る。時代が自分に追いついた、とでも言いたいのだろうが、ツナギが普段着にされ始めたのはただの偶然だろう。
 可愛らしい縫いぐるみのディスプレイを通り過ぎ、シルバーアクセサリーを見ると言う正斗の声で足を止める。
「アキ、これどう思う?」
 店の回転棚にぶら下がった一つに手を添え、茶髪の阿呆面がこちらを振り向いた。
「痒くなるから好かん」
 正斗は素で目を丸くしたようだった。
「好きなんとちゃうんか、光モン」
「烏と烏天狗を一緒にするな吹き飛ばすぞ」
「おお、やれるもんならやってみいや。久しぶりに力比べするんも悪ないのう」
 だんだん奴は戦闘態勢の顔つきになってきた。俺もきっと同じような表情をしている。
 妖怪というのは力比べ、というか自分の脅威を知らしめるのが大好きな生き物である。正斗は種族的に余計そうだろう。
 が。
「これ買ってくるわ」
「早くしろよ」
 結局ひょいと軽い調子に戻り、荒事を引き起こすことはない。
「相変わらず切り替えが速いね」
「人間に迷惑はかけぬこと。これ妖怪の心得なり」
 俺が腕を組むと、篝はくすくすと笑う。
 正斗はネックレスを一つ購入したらしかった。
 店の隣のゲームセンターに足を踏み入れる。
 プリント倶楽部の仕切られた一角から、ブレザー姿の女子高校生がきゃあきゃあと飛び出してくる。あの機械の進化の著しさには目を見張るものがある。
 そういえば、野郎三人で一度だけ――確か一年前の冬に――べろんべろんに酔っ払ったとき、一度撮った覚えがある。落書きコーナーとやらは勝手がわからず、何も描かないうちに制限時間を切った。結果、おふざけの証明写真と何ら変わらないシールを手に入れたのだったが。はて、どこへやったっけか。
「こんなへにゃへにゃの棒二本で、あんな重そうな縫いぐるみなんぞ取れるんか」
「アームの置き方次第でね。見てて」
 篝は袖からがまぐちの財布を取り出し、UFOキャッチャーに百円玉を二枚投入した。
 愉快なバックミュージックと共に、機械に命が吹き込まれる一と二。二つのボタンだけでアームを操り、獲物を穴まで運ばなくてはいけないという無理難題ゲーム。金と景品の無駄なので俺はやらないが、操作する篝の手つきは手馴れている。愛らしい人形を京美人達に取ってやったりしているのだろう。
 篝はいち、にで見事獲物を掴み取り、馬鹿でかい虎の縫いぐるみを穴へ落とした。
「はー、見事なモンやのう」
 正斗が感心した声を挙げる。ちなみにこいつもUFOキャッチャーなどとんとできない、女にモテない部類の人間である。
「これ、アキにあげるよ」
 そう言って、篝は俺に虎を差し出してきた。
 思わず顔を顰める。
「いらん。今付き合っている女にでも渡してやれ」
「それがつい昨日、浮気がばれてね。今一人もいないんだ」
「篝がそんなポカやるなんて珍しいなぁ?」
 そう言いつつも少し嬉しそうなのを正斗は隠せていない。
「ちなみに今回は何又だ」
「五」
 気付いたら篝の尻を蹴っていた。正斗も同じタイミングで同じことをしていた。
 何するんだよ、と浮気野郎は当たった箇所を擦っている。
「それで寝床がなくてさ。秋隆、泊めてくれないかい」
 失念していた。正斗は実家暮らしなので、篝が頼るのは必然的に俺だ。
「あ、じゃあ俺も泊まらせてぇな。三人で久しぶりに語り合おうや」
 もう片方まで手を上げてそんなことを言ってくるものだから、俺は自分の眉間に皺が寄ってくるのを感じた。
「うちの六畳部屋に野郎三人が寝る余裕などないぞ」
「篝、化けぇ」
「絶対に嫌だ。そっちだって、豆粒ほどの大きさになれるんじゃないのかい」
「それは曾々々々々じいちゃんの代からご法度や」
 睨みあう顔を見るに、どちらも一歩も引く様子がない。こいつらは自分の体を変化させることを極端に嫌がるのだ。
 鹿谷正斗の家系は、代々鬼である。彼の曾々々々々じいさんの父上はそりゃあ力のある鬼だったそうだが、どうも人里で暴れていたのがよくなかった。困った村人が呼んだ僧にうまいこと唆され、豆粒ほどの大きさに化けたところ、饅頭に挟まれて食われたらしい。目立ちたがりの妖怪らしい、とぼけた最後である。以来彼の一族は、体の大きさを変えることをご法度としている。
「人間を襲ったからご先祖様は食われたのだ。だから襲わなければいいのだが、化けるのは嫌だ」
 これが鹿谷家共通の意見だ。
 一方、伊澄篝の種族は猫又であり、こちらは特に根強いトラウマはない。嫌がる理由は単純明快。篝は人間の姿でこそ小奇麗だが、猫姿はただのでかいドラ猫にしか見えないのである。黒い毛並みはばさばさしているし、体つきもお世辞にも豹のようにスマートとはいえない。それを非常に嫌がって、篝は緊急時でないと猫姿にならない。元々は不細工な化け猫が、人間に美しく化けているだけなのだ。
「こちらの方が性に合っていて、俺はもう人間として生きていってもいいんじゃないかと思っているくらいだよ」
 いつかの伊澄篝の呟きである。少しばかり女にモテるからと言って調子に乗るなよと、この後で俺と正斗にたこ殴りにされている。
 俺は両手を上げ、降参のポーズをとった。
「わかったわかった。ただし寝場所は各自で用意しろ。俺のベッド以外でだ」
 すると篝はにぱっと笑い、
「よし決まり。で、俺、鞄を持ってないからさ。入れておいてよ」
 と事もあろうに、話を縫いぐるみの方に戻す。
 確かに篝は完全に手ぶらであり、俺はテキストを持ち運ぶためのリュックサックを背負っている。両手で抱えるのは邪魔だろう。仕方なく虎を受け取った。
 虎は綿をぱんぱんに詰められていて、手触りはとても柔らかい。若い女性用にデフォルメされており、見るからにかわゆい代物である。
 しかし俺はその愛らしさ、形状の維持より、荷物を減らすことの方が重要だった。結果、虎の四肢は適当にリュックへ押し込まれ、入りきらなかった顔を口から覗かせる羽目となった。
 正斗が大いに爆笑した。
「おまえそんなで街中歩くんかいな! 小学生の娘っこか!」
「黙れ不可抗力だ。そもそも、貴様らが考えなしにUFOキャッチャーなどやるから、こういうことになったのだ」
「悪いねアキ」
「なら背負え」
「それは嫌だ」
 この野郎。
「それより、久しぶりに紅葉亭の生姜焼きが食べたいなぁ。おなかすいた」
「あーええなぁ。行くか?」
 紅葉亭は四条大橋の先にある定食屋である。俺達が寺子屋に通っていたときの同級生、林葉皐月が経営している。名前の響きで勘違いされがちだが、林葉皐月は男であるので注意されたし。
「昼飯まだだったのか?」
「まあの。アキは昼食べたとことかいな?」
「そうだが別に構わん。アイスでも食う」
 言って、縫いぐるみを詰め込む前に出しておいた扇を、パッと広げた。
「あ、それ天狗の扇やん! ずる!」
「何とでも言え。ていうかこれは俺のものだ」
 ひらひらと動かせば涼しい風が顔に当たる。
 この扇は昔からうちにあるが、家宝というほど上等なものでもない。しかし一扇ぎするだけでそよ風から台風まで起こせる優秀な道具だ。特にこの季節は扇があるだけでクーラーがいらないので、重宝している。天狗は勿論自分で風を起こせるが、その作業は結構面倒くさいのだ。
「アキー俺も扇いでー」
「あー? 仕方ないな」
「あっずる! 俺も俺も!」
 そうして俺達は連れ添い、時折周囲の好機のまなざしを感じながらも、大通りへと出た。

 四条大橋の手前には小川が流れており、それに被さるように桜が植わっている。春には流れる水面に薄桃色の花弁が落ちて、非常に風流な光景が広がるのだ。地上へ出てきた者が足を止め、ちょっとした玉突き事故になるほどに美しい。
 しかし今日は何故か、そこで溜まっている通行人が多かった。
 今は夏なので桜も葉だけのはずだが。広がりすぎて道を通れない。人ごみであちら側に行けない。商店街に隠れてしまって、桜は正面から覗かないと見えない。
「なんの騒ぎや? アキ、ちょっと飛んで見てきてや」
「おまえが縮んで人ごみを潜った方が早いぞ」
 憎まれ口を叩きながら、桜があるはずの方向へ目を向ける。
 何か金色のものが見えた。
 一瞬驚いてよく見ると、そこには緑色の桜の葉でなく、金でできた木が佇んでいた。
「……なんだあれ」
 そんな言葉が思わず口を突く。
 枝から幹まで全て金だ。先にはぽつぽつと、白い飴玉のようなものがくっついている。あれは――真珠、ではないのか。そんな馬鹿な。大体桜は実でなく花を付ける木であろう。
 修繕されたときに見にいった金閣寺と同じ感想しか浮かばない。眩しい。
「蓬莱の玉の枝」
 とある古典に登場する道具の名。
 呟いたのは篝だった。
「秋隆――さっき言ってたやつ。碇屋から出てきた、れあものの鉢っていうのはね。おじさんによるとさ」
 仏の御石の鉢なんだってさ。
 見下ろしてみると、奴は珍しく目を丸くしていた。