・バスケじゃなくてバトルしてる
・すごい中二
・江戸もどき
・高尾くん一回死んでる
・高尾くんたまにねこみみ
・作中ではどっちも死なないがどっちも未来短いよ描写


大丈夫な方はスクロール↓


















 目の前にふらりと現れた、と気付いたときには、自分より一回り小さい体のど真ん中に穴が開いていた。
 ごぷ、と溢れ出すように、赤い花が開く。口からも花花花。人型が破れて中身が流れ出す、地面に強烈な色をぶちまける。
 音もなく。
 一回きりしか使えないくせに盾を気取ったそれは、地面に倒れ伏した。
 作り物の劇みたいにこちらを向いて、今際の別れの言葉を残したり、笑ったり、そんなことは一切なかった。もう希望的観測が抱けないくらい、駆け寄って抱き起こして治癒を掛ければまだ、なんて思えないくらい、間違えようもなく死んでいた。
 ――それを。悲しいというより、後悔したというより、そのときの自分はきっと、認めることができなかったのだろう。
 こんな結末はおかしい、と思った。
 間違えようもなく死んでいたけど、死ぬという相手の行動を間違えていると思った。
 だから、頭が反射的に、その矛盾を消化しにかかった。
 無我夢中で、どうやったかなんて全然覚えていない。むしろよく成功したなと自分で過去の自分に感心している。勿論その後でぶっ倒れた。集中力精神力妖力全部使いきったせいだ。
 起きたら、頭上には見慣れた天井。
 少し置いて、見慣れた顔。
 全力で殴られた。
 抵抗なんてしなかった。……正直それくらいは覚悟していた。相手が泣きそうな顔をしていたのもある。
 自分がしたことが間違いだったとは今も思っていない。あれが最善だった、自分は人事を尽くした、そう自信を持って言える。
 だけれど。

 ぐらぐらと安定しない器のような不安が、今も胸に纏わり付いて離れないのは何故だろう?






「単刀直入に聞くのだよ黒子。おまえ、高尾が欲しくないか」
「欲しいです」
 即答だった。
「でも一旦お断りします」
 その返事で顔が一気に曇った。
「……何故だ」
 眉を吊り上げる緑間をよそに、黒子は涼しい顔をしている。座布団の上に正座し、傍で湯気を立てていた湯呑みを流れるような動作で手に取って、唇を湿らせてから答える。
「高尾くんは式としては破格ですし、物扱いするような言い方は正直どうかと思いますが――欲しいかと聞かれれば、勿論欲しいと答えます。正直喉から手が出るほど欲しいです、強いのに負担が小さくで済みますし器用だしうちの生徒さんたちにも良くしてくれますし」
「なら、」
「でも緑間くんは、高尾くんと合意の上で僕に話を持ちかけたわけじゃないように見えたので。彼を僕に譲りたいと言うなら、高尾くんと相談してからまた来てください」
 ぐうの音も出ないとはこのことだった。どうやらこの同窓は、緑間の性を完全に見抜いているらしい。
「……というか、もう仲直りはできたんですか? 随分ましにはなったみたいですけど、どうせちゃんと話はしてないんでしょう?」
 緑間は答えない。
 やれやれ、と溜め息が一つ挙がる。
「大事なことを一人で勝手に決めると、また高尾くんに怒られてしまいますよ」
 ――回想する。
 殴られた頬の痛みと、胸ぐらを掴まれたときの力強さと、叫ぶ声。
 それを言われてしまうと、本当に緑間は何も返せない。正しいのは完璧に黒子の方だ。自分でもわかる。癪なので、意地でも口に出しては認めてやらないが。
「…………」
 しかし次に言う言葉が見つからず、眼鏡を押し上げ、唇を結んで黙り込む。
「とにかくそういうことなので――」
 と黒子が話を纏めようとしたそのとき、
「ちょ、待っ、やめ、おわ――――――――!」
 どすんばたんどおん、と騒がしい音がした。
 二人して一瞬顔を見合わせ、襖を開けて転がるように外へ出ると、黒子の教え子である子どもたちが集まって人垣を作っていた。何があったんですか、と黒子が生徒に尋ねているが、緑間は無視してずかずかと中央に進み出る。
 子どもたちが囲んでいたのは、黒髪三白眼気味の見慣れた男だった。額には中国の超有名妖怪よろしくお札が張られ、両腕を巻き込んで、綴った障子紙の紐で胴をぐるぐる巻きにされている。
 どう見ても退治されかけだ。
「……何をしているんだおまえは」
 緑間が心底呆れたように呟くと、相手はへへへ、と気まずさを誤魔化すように笑った。
「お――起きたら真ちゃんいなくて、どうも黒子んとこ行ったっぽいなーってのはわかったからさ。家事終わらせて一休みしてから迎えに来たんだけど。悪戯で半猫状態で突入しようとしたのが悪かったのか、いきなり『高尾にいちゃんだ――!』とか叫ばれて捕まった」
 すると、事情を把握したらしい黒子が進み出て、緑間の隣に並ぶ。
「すみません高尾くん。こないだ授業で猫妖怪の対処方法を教えたんですけど、『そうだ、今度見かけたら高尾くんで実践してみるといいかもしれませんね』と漏らしたのを真に受けてしまったみたいで」
「これおまえのせいかよ!」
「冗談のつもりだったので……実は今の今まで忘れてました」
 黒子はあっさりとしたものだが、緑間と高尾は気が気でない。
「おまえは冗談も真顔で言うからそうと聞こえないのだよ……」
「緑間くんには言われたくないです」
「きさま……」
「あーもういいから、早いとここれほどいてー」
 全く、と緑間が進み出て、紐を千切る。その左の指先には包帯が巻かれているが、わりといつものことだ。本人曰く「弓を引く大事な指だから怪我をしないように」とのことである。
 自由になった高尾は大きく溜め息を吐いて、
「ひっでえ目にあった……」
 首を左右に傾け、動きの円滑化を試みる。
「ていうか俺も元々はこいつらの先輩なのにさー、退治が効く体になっちゃってるってのは悲しいもんだねえ」
「……悪戯で耳と尻尾を出して楽しんでいるおまえが言うな」
「あーこれ?」
 高尾が自分の頭を指さす。黒い髪の中からは、どうも猫のものらしい耳が二つ、筍のようににょっきりと突き出している。だけでなく、尻の辺りからも長い尻尾が伸びていて、時折機嫌よさそうに宙を掻いていた。
 人間を軸に、猫の特徴を合体させたような風体である。
「数少ない利点だし、可愛いじゃん。それに猫耳、今やってる歌舞伎の影響で流行ってんだぜー? ご主人様はぬこみみは好きじゃないのかにゃー?」
 おどけたように言って、高尾は顔の横で、猫の手を作るように両手を丸めてみせる。が、それを射抜く緑間の眼差しは大層冷ややかだった。
「男のくせにしなを作るな気持ち悪い、さっさとぴこぴこ動くのが不愉快なそれを引っ込めるのだよ。あと俺は猫は嫌いだ」
「んな三倍返しにしなくてもいいじゃん! 辛辣だなおい!」
 黒子が楽しそうにくすくすと笑っている。高尾はちぇー、と悪態をついて残念そうに手を下ろし、ついでに耳と尻尾も消した。途端、そこらを歩いている人間と変わらない容姿になる。
 と、黒子の隣に立っていた坊主頭が、いきなり高尾に頭を下げた。
「えっと、高尾にーちゃん、いきなり襲撃してごめん……」
「あ……わたしも、ごめんなさいっ」
 続いて隣の少女がお辞儀。他の子どもも皆ばつの悪そうな顔をしている。どうやら幼いなりに、いや、幼いからこそ状況を見て、「悪いことをした」という意識を生んだらしい。
 高尾はすぐににんまりと破顔して、膝を折り、手近なところにいた坊主頭に掌を置いた。
「まー、おまえらが俺が太刀打ちできないほど優秀だったから許してやんよ。ちゃんと勉強してんだなおまえら、偉い偉い」
 軽い口調でそう言って、ぐりぐりと撫で回す。坊主はくすぐったそうにしていたが、やがて安心したように柔らかく笑った。
 黒子がしみじみと声を漏らす。
「本当に……どちらも大した怪我がなくて良かったです」
 高尾に怪我がないのはうまく避けたか相手が強力な術は使わなかったからで、子どもに怪我がないのは高尾が一つも反撃しなかったからだろう。どちらも予想していたからこそ黒子は「高尾で試してみればいい」などと発言したのだが、それでも軽率だったと深く反省した。
 緑間は眼鏡を押し上げ、何も言わないまま、悠々と一歩踏み出した。子どもと仲良く談笑している高尾の脇を通り過ぎざま、声を掛ける。
「高尾、行くぞ」
「え? 俺が邪魔したみてーだけど、話終わったの?」
「終わった。そろそろ誠凛の奴らが巡回から帰ってくるところだろう、騒がしくなる前に帰るのだよ」
「火神とかだいぶ顔合わせてねぇじゃん、挨拶してからお暇すりゃいいのに」
「要らん。あいつは気にくわん」
「ほんと愛想ねーな……悪いな黒子、俺ら帰るわ。お邪魔しました」
「はい。二人ともお気を付けて」
 高尾は最後、坊主頭をぽんと軽く叩いた。
「じゃあ今日は帰っけど、また遊びに来るからな。頑張って勉強するんだぞー」
 笑ってから、手を振って寺子屋を出て行った。
 おにーちゃんばいばい、またねー、なんて声と、小さな手が見送ってくれる。
 それを、振り向いて、微笑ましげに見て。
「……妹ちゃん、今どうしてるかな」
 待っていた緑間の隣に並びながら、そっと、思わず、といった声色で呟いた。

 横柄に帰るぞ、と言ったわりに、緑間はまっすぐ家には向かわず、近所にある甘味処に入った。
 勿論目当ては好物のおしるこである。
 もう高尾が「いつもの」と言うだけで、注文を取りに来た娘が勝手に感づいて、おしることみたらし団子二本、緑茶の入った湯呑みを二つ持ってきてくれる。この店に、そもそもこの村に来たのはそう昔のことでもないのに、すっかり常連客の仲間入りを果たしているのである。
 赤い番傘の下。外に設置された席に座って、村の風景をぼんやりと眺めながら、一服する。
 千切れた白い雲が浮かぶ、澄みきった青空。温かい日差しが着物や肌を温めてきて、今日は過ごしやすい、穏やかな天気だ。
 目の前を通り過ぎる人は皆足早だ。店の前であるにも関わらず、提灯や旗がわんさか飾られている。
「みんな忙しそうだなー」
「明日が祭りだから余計、じゃないのか」
「だろうな。気合い入れるとは聞いてたけど、こんだけ念入りに準備してんなら相当はりきってんだろな」
 神輿やら屋台やらを沢山出して、花火まで打ち上げるらしいし。
「……俺らだけだな、暇そうなの」
 この村に移り住んでまだ三・四年で、商いもやっていない二人は特に祭りの出し物もない。人里離れた山の麓の屋敷に住んでいるから、飾っても意味がない。
 昔蓄えた貯金を食いつぶして生活している、いわゆる若年無業者なのである。
「……喧嘩の仲裁やら、妖怪祓いやら、酔っ払いの介抱やら、俺たちは当日に仕事があるからいいだろう」
「そうだけどさあ、顔見知りみんなが準備したところに乗っかるみたいで、なんか罪悪感湧かねぇ? 真ちゃん真面目だから尚更っしょ?」
 緑間は言い返さなかった。
 多分無言の肯定だな、と判断しつつ、高尾は団子を噛んで櫛から引き抜く。
「そもそも俺ら、昔は祭りなんて行ってる暇がなかったからなあ。ここ来てからもしばらくは忙しかったし。いざ時間余ると、どう使ったらいいかわかんねーもんだね」
 おしるこの椀を口元に持って行って、小さく啜る。
 言われてみれば、こんな風に甘味処に寄ってくつろぐのも、前は七日に一回あるかないかくらいだった。完全に隠居状態だ。
 いや、この状況はやむを得ずだし、これでも生活はできているのだが、こんなでいいんだろうか。若者特有の体力と数年学んで得た技術を持て余しまくりなのだが。ものすごく駄目人間と化してないか。
「……まあ退屈はしてないし、真ちゃんとのんびりできるから、これはこれでいいけどな」
 しかし高尾はそう言って歯を見せて、悪戯に成功した子どものように、にやりと笑いかけてきた。
 その一言と表情だけで緑間の「これでいいのか」という疑問が「まあいいかな」程度には改善されるのだから、安いというか単純というか、だ。
 本人はその変移を顔にも口にも出さず、眼鏡を押し上げるのみだが。
「ち、昼からだらだらだらだら、いい身分だなてめーら。轢くぞ」
 と、前方から、半纏を羽織った茶髪の男が、足音高くこちらにやってくるのが見えた。
「あ、宮地さんどうもっす。どうすか一本」
 ご到着。高尾がすかさず皿を差し出せば、相手は残っていたみたらし一本を遠慮なく手に取る。
「火消しはお祭り前に見回りすか? お疲れさんです」
「いつもは俺らの仕事じゃねぇんだけど、奉行所に応援頼まれてな。てかお疲れさんですー、なんて言ってねぇで、手ぇ空いてんなら手伝えや。切るぞ。先走って酒飲んでおっさんが暴れてたり妖精がはしゃいでたり、こっちは人手不足なんだよ」
「あー……でも買い物しとかねーと、今日の晩飯の材料無いしなあ。どうする? 真ちゃん」
 俺おまえの式だから、おまえの言うこと聞くけど。
 湯呑みに口を付けて、隣に座る男は涼しげにそう尋ねてきた。
 その何気ない一言に、びくりと大袈裟に反応した。
 頭上で、緑間抜きで会話が流れていく。
「……あ? 式?」
「そっす、しきがみです」
「式神って使い魔じゃなかったか?」
「使い魔っすよー『式』ですもん」
「でもおまえ、緑間が作ったもんじゃねぇだろ?」
「そっすね、普通に母さんの腹からおぎゃあしましたね」
「……もしかして、込み入った事情があったりすんのか」
「まー……込み入ってると言えば込み入ってるような」
「なら言うな。俺も聞かねぇ、そういうのめんどくせえ。言ったら木村んちの玉ねぎ投げっからな」
「はは、宮地さんのそういうさっぱりしたとこ、俺好きです」
「懐くんじゃねーよ馬鹿。あと緑間、その茶ぁ飲まねぇならよこせ」
「……はい」
 緑間が顔を上げて湯呑みを渡すと、宮地は一気に煽って中身を飲み干した。
「よし、じゃあ俺巡回の続き行くから、手伝いくんなら後で屯所の方来い。……あ、そういや、木村がなるべく早く店来いって言ってたぞ。なんか渡すもんあるらしい」
「渡すって、何を?」
「俺が知るかよ。じゃあな」
 とげとげした口調で言って、後ろ手を振って、半纏姿の長身が背筋を伸ばして去っていく。いつもながら嵐みたいな男である。
「宮地さん相変わらずちゃきちゃきしてるってか、きびきび動くし、見てて気持ちのいい人だよな。口悪いしたまにこえーけど」
「……あの人は根が真面目だからな。悪い噂も聞かない」
「てか今日の晩御飯何食べたい?」
「天ぷら」
「今の時期なら茄子とかぼちゃ、ちくわとえび……かね。あと豆腐の味噌汁と飯。麦と白米の半々」
「上等なのだよ」
「よし決まり」
 木村さんもとい二丁目の八百屋は、祭りの直前であるせいかえらく忙しそうで、人垣を作っている客の対応に忙殺されていた。
「あいつ一番忙しいときに頼んだもん伝えやがって……!」
「すいません間の悪いときに……ついでに茄子とかぼちゃください」
 坊主頭に鉢巻を付け、毎度、とやけっぱち気味に木村が叫ぶ。高尾は苦笑いを、緑間はいつもの無表情で、頼んだ野菜が風呂敷に包まれていくのを眺めるばかりだ。幼い頃から手伝いをしているせいだろう、忙しくても怒っていても、木村の手際はいい。
「あと夏みかん入れとっからな」
「え、おまけっすか? ありがとうございます」
「礼なら久住の奥さんに言え。うちはあの人にお代貰って、頼まれたから渡しただけなんだからよ」
 久住さんって誰だ。
 高尾がそう思って緑間に目配せをしてみるが、本人は知らん顔だ。この分だと緑間も久住さんとやらを知らないらしい。
 が、木村の、
「あそこの嬢ちゃんの顔の火傷、綺麗に治ってたぞ。おまえらに会ったら土下座しかねない勢いだったから覚悟しとけ」
 その台詞で思い出した。
 通りすがりの、名前も聞いていなかった親子の顔。
 ――元々ここは、霊脈が通うという土地柄のせいで周辺に妖怪が多く、腹を空かせた異形に襲われることが多い村だった。今でこそ盛大に祭り上げられているが、土地神は弱りきっていてほとんど機能せず、作物は食われるわ人は拐われるわで領主もお手上げ状態。数年前まで並ぶ家屋はほぼ半壊しており、治安も悪い荒れかけた土地だったのだ。
 そこに腕利きの退魔師が二人やってきて、まあ、後はよくある話。村を覆うほどの大規模な結界を張ったり、襲ってきた妖怪を退治したり、薬を作ったり怪我人や病人の容体を見たりと八面六臂の活躍を見せた、というだけだ。
 本人たちは「俺らはできることやっただけだし。村の人が最後まで諦めなかったから……でないとこんな短時間でここまで再建できないっすよ。なー真ちゃん」「俺に話を振るな」と知らん顔だか。
 なので高尾と緑間は完全に余所者だが、遠巻きにされることは一切なく、むしろちびっこからお年寄りにまで英雄扱いされていたりする。今は土地神が復活したおかげで、村は二人が守らなくても異形の脅威に晒されることはなくなったが、ちょくちょく人助けに精を出し、小さなお礼をいただいたりするのだ。今回のように。
 彼らが親子に会ったのは随分前だ。買い物帰りに偶然見た、親に手を引かれる娘の顔が真っ赤に爛れて引きつれていて、事情を聞けば火車の火にやられたのだという。それで、寮では医学も学んでいた、緑間お手製の軟膏を渡してやった。
「あの子治ったんすね、良かった……俺ら二人で気にしてたんです」
「まあ、俺が人事を尽くして作った薬を渡したのだから、当然なのだよ」
「真ちゃん、そういうときは素直に喜んどくの!」
 緑間が尊大に眼鏡を押し上げ、高尾が笑いながらその肩をどつく。木村はそのやりとりを見て呆れたように笑んで、風呂敷をずいと押し付けた。
「……ったく、おまえらになんか礼すんならうちに預けとけばいい、って風潮、いい加減勘弁してほしいぜ」
「俺ら不便なとこ住んでるし、ここによく来ますからねー。すいません」
「こっちは野郎の顔なんて何度も見たくねぇっつーの。ほれ、こっちぁ忙しいんだ、さっさと帰れ」
 手を振って追い払われる。高尾は「やーんつれない」と軽口を叩きながら、緑間は会釈をして「失礼します」とその場を去ろうとする。
 が、あちら側からばたばたと走ってきた子どもたちの、
「あ、兄ちゃんたちやっと見つけた!」
 の一声で、足が止まった。
 案内されて行ったのは、長屋の一室だった。
 中には真っ白な布団が敷かれており、目に包帯を巻いた子どもが荒い呼吸をしながら寝ている。
「突然熱を出して倒れて……あと、目が見えないと」
 母親が心配そうに病状を伝えてくる。戸口には退魔師探しを手伝っていた子ども、近所の住人、野次馬等々が集まっていて大騒ぎだ。
 緑間が子どもの包帯を取ると、目の上に黒々とした、奇怪な文様の刺青がびっしりと纏わりついていた。なるほど、素人目でも普通の風邪ではないとわかるわけだ。だから医者の前に緑間たちを呼んだのだろう。
「……呪われましたね」
 呟く。
 ざわ、と喧騒が大きくなる。
 詳しくは知らずとも、呪い、という響きは嫌でも不吉なものを連想させる。
「はいちょっと退いてー! 真ちゃん、頼まれてたもん汲んでき……あ!」
 と、井戸水がなみなみ入ったたらいを運んできた高尾が、中に入るまでもなく、子どもを一瞥しただけで声を挙げた。
「高尾、何かわかったのか」
「それ夜雀の仕業だわ。ぜってーそうだ」
 夜雀、というと雀のような鳴き声を挙げて現れて、憑りつかれると夜に目が見えなくなると言われている妖怪だが。
 草履を脱いで座敷に上がり、たらいを適当な場所に置いて、高尾も一緒になって顔を覗きこむ。
「あれはそんなに強い妖怪ではないし、夜盲症になるだけだろう? 呪われたところで全盲にまでなるか?」
「でももう夕方だろ? 昼も見えてないんじゃなくて、能力の有効範囲が広がってるだけなんじゃねぇの。この子が倒れてからそう時間経ってないっすよね?」
 いきなり話を振られた女性はびくりと肩を震わせたが、やがてはい、と不安そうな声で答える。
「それにぶっちゃけ、この子らが山に入って、雀に石ぶつけてんの見たことあるんだよ。やめとけっつったのに全く……」
 高尾が頭を乱暴に掻き毟る。緑間が大きく溜め息を吐いた。
「確定だな。ちなみにその山ってどこなのだよ」
「ちょうどここの裏のやつ」
「ていうか何故おまえがそんなところに入った」
「あ、山菜とか筍泥棒しに行ったんじゃないかとか疑ってねぇ!? お地蔵さんの整備だから!」
「……裏山なら、隣村の人間も祭りに来るとき通るな。ついでに全面的に祓っておくか。高尾、たすき紐と弓矢。あと誠凛の奴らに連絡」
「まーた使いっぱしりかよ……」
 男二人が畳の上から立ち上がる。
 一人はそのまま一瞬で離脱。もう一人はたらいを取って再び布団の隣に座り、水に人差し指を浸した。子どもの額に何やら印を書き、目を閉じて両手を合わせ、ぶつぶつと祝詞を唱え始める。
 呼びに来た子どもたちには、だいぶ前におまじないとして教えている。一緒になって口ずさみ始めるが、大変長いので途切れ途切れなのが微笑ましい。まあ、緑間は集中していて、その幼い声は全部聞いていないのだが。
「ほれ取ってきたぞー」
 と高尾が帰ってきた頃には、詠唱は全て終わっていて、子どもの容態は幾分かましになった様子だった。
「少し裏山に行ってきます。なるべく早く終わらせるつもりではいますが、時間が掛かっても探索隊は出さなくていいので」
 言ってから、緑間が紐を受け取って口に咥える。右脇、肩の上にと着物の袂を巻き込んで回して、手早くたすき掛け。その後で、蝶々結びが背中に来るように、高尾が一生懸命紐を送ってやっていた。
 外に出て、
「じゃあ行ってきますねー」
 と挨拶をして、山の方へ足を向ける。
「おー気をつけてな!」
「かずにーちゃんしんにーちゃん頑張れー!」
「お夕飯用意しとくから、早く帰ってくるんだよー」
 見に来ていた村人たちが温かい言葉を投げてくれる。
 それをこそばゆい気持ちで聞きながら、振り向いて手を振って、応えた。

 長屋の裏の山は一応、人が通る用の道がきちんと作ってあり、それに沿って歩くだけなら大した労力は掛からない。薄暗く、樹木の匂いが漂っていて、こんな目的さえ持っていなければ歩いていて気持ちがいいくらいだ。
 夜雀は夜が更けるほど力を増して、こちらの不利になる。暗くなると周囲が見辛くなるし、子どもの容態も心配だ。一刻も早く見つけなければ。
「しっかし妖怪退治は久しぶりだよなぁ。いいことだけどさ。真ちゃん、腕鈍ったりしてねぇ?」
「おまえがそれを言うのか」
「失礼な、言っとくけど俺、真ちゃんの式神補正で前より能力値は上がってんだからな!」
「それは自慢になっているのか……?」
 それでは結局、功績を出したのは高尾自身でなくて緑間ということになってしまうのではないだろうか。
 言いながら、緑間が懐に手を忍ばせる。出したのは人型に切った紙だ。指で弾いた途端、風に煽られて宙に舞っていたのが、急に力を持って前に飛び始める。それを頼りに前へ進む。
「――ねー真ちゃん」
「何だ」
「呪われたあの子な、俺が石投げるのやめろって言ったら、『妖怪は敵だ、みんな死んじゃえばいい』って返してきたんだよな」
 緑間はぴくりと反応したが、何も言わなかった。
「村の人たちも、良くしてくれるし、さっきも笑って送り出してくれたけどさ。今回の件みたいなことが起きると妖怪が絶対的に悪い、って決めつけちゃうってか。妖怪を毛嫌いしてるとこがあるよな」
 いつになく生真面目な、それでいてしんみりした声色を聞いて、緑間の方も言葉を選んで返答する。
「それは、仕方ないのだよ。今まで襲われて、痛い目を見てきた人間ばかりなのだから」
 うん、と高尾は素直に頷く。
「それはわかってる。けど、なんとかできないかなーって思っちゃうんだよな。だから、ほら、今回の祭りってかなり大々的じゃん? 酒が入ったり興奮したりしてるとこに、人に近い妖怪が遊びに来てさ。まずはそんなとこから仲良くなれたらいいよな、って考えてたんだけど、その矢先に今回の事件で。あの子には悪りいけど、すーげえもったいねぇ……っていう」
「真面目な話かと思えば愚痴か」
「残念、愚痴なのだよ」
 はは、と高尾は笑う。
「……でもできれば、邪法なんかに手出さずに、済ませられれば良かったのになあ」
 それを聞いて、少し黙った後で。
 緑間は不意に、同居人の方を振り向いた。
「……高尾」
 真剣な顔で名前を呼ばれて、堅くなった空気を和らげるように、相手はほんの少しだけ首を傾げる。
「……なーに? 真ちゃん」
 変わった、夕日のような色をした瞳が、静かな光を湛えている。
 まっすぐそれを射抜いて、まるで言葉を絞り出すように、
「俺は、おまえに一つだけ、聞きそびれていることがあるのだよ」
「真ちゃんが言いそびれてるなんて珍しい。何?」
「……………」
 しかしそこで、緑間は一度黙り込んでしまう。
 ざざ、と木の揺れる音。
 高尾も何も言わないまま、根気強く返事を待っている。
「…………、おまえは、」
 やっとそう言いかけて、
「……あ?」
 間違いなく方向のずれた声を挙げた。
「……? どうしたよ」
「……見えない」
「え」
 高尾がすぐ走り寄って、緑間の右腕を左手で力強く握りしめる。
「見えるか?」
 鋭い声で尋ねてくる。が。
「いや。見えない」
 緑間の視界は真っ黒だ。先ほどまでは眼鏡越しとはいえ、ちゃんと見えていたのに、本当に一瞬で何もわからなくなった。
「おまえはどうなのだよ」
「普通に見えてる。つーことは……」
 高尾が周囲をきょろきょろと見回し始める。すると、周りにある木の遥か上。葉の茂った枝の先に、茶色の小鳥がちょこんと止まっているのを見留めた。
「いた! ……けど呪い掛けた奴じゃねぇな」
「相変わらず見ることだけは得意だな、おまえは」
「そもそも雀が鷹に勝てるわけねぇだろ? じゃあとりあえず、っと」
 空いている、右の親指と人差し指をぴんと伸ばす。銃のような形にしたそれを、高尾は雀の止まっている位置に向けた。力を練り上げて、人差し指の先に丸い弾を作っていく。
「俺までいじめてるみたいで申し訳ねーけど今回は勘弁! お浄めいっぱーつ!」
 なんて陽気な文句を叫びながら、銃身を跳ね上げる動作と共に、その弾を勢いよく放った。
 夜雀の止まっていた枝に見事命中し、驚いたらしい小さな鳥は羽を広げて、日の暮れかけた空へと飛び去った。
「真ちゃんどう? 見えるようになった?」
 緑間は黙って首を横に振る。探索用の式も近所をわざわざ手で指しているし、どうも近くにもまだいるらしい。
 途方にくれたように、黒い髪が指で掻き回される。
「……しょーがねえ、このまま俺が引っ張ってくわ。走るけど平気だよな?」
「ああ、問題ない」
「じゃあ行くぞー……」
 きつく手を握って、駆けだす。
 ざ、と地面を蹴る音、風を斬る音。
 景色が流れていく。
 緑間の方は何も見えていないながらも、決して遅くはない高尾の速度に付いて行く。手を引かれて方向を指し示すというだけの非常に心細い頼りだが、それで怖気づいた様子もなければ、足運びに迷いもない。
「あ、でかい根っこあるから大股で跳べ!」
 雑な指示にも、高尾が飛んで手の引っ張れ具合が変わった、一瞬の間で答えている。
 高尾の方も緑間に声を飛ばし、かつすれ違いざま、見つけた木を撃って雀を追い払う。小鳥が数十羽群れているものに当てると、ぱたぱたと盛大な音がして、空に黒い点が増えていく。
 先導用の式神は滑るように宙を飛んでいたが、やがて一本の大きな木の前で止まって、ぽん、とただの紙切れに戻った。
 天を仰げば、他より一回りほど大きい雀が、枝に留まり、幹に凭れかかっているのが見える。ただ他の鳥と違っているのは、腹の白い部分に、黒々とした文様が入っているところ。子どもの目の上に現れたのと同じ模様だ。
 呪いを掛けた者と受けた者は、肌のどこかにそういう印が出る。
 本来呪術は邪法、禁忌のせいか。二人ともに浮かぶのは、人を呪わば穴二つ――というわけなのか。未だに仕組みは解明されていない。退魔師にとってはただ「わかりやすくていい」だけだが。
 呪いは基本的に、掛けた本人が解くか、死ななければ解呪はできない。返すという手段もあるが、ただでさえ熱で弱っている子どもの体力をかなり消費する。返そうが殺すまいが、祟った夜雀は命を落とすのだ。
 なら。――結局は人間側である退魔師は、代償の少ない方を選ぶ。
「……高尾」
「……ん」
 式神が、家から取ってきた武器をぽん、と手の上に出した。破魔矢と弓。未だ目が見えていない緑間に、弦を張っていない方を向けて渡してやる。矢も、尻でなく羽の方を。
「ちょっと難易度上がるけど――ま、真ちゃんなら心配しなくていっか」
「愚問だな。さっさと仕留めるぞ」
 高尾がいつものように指鉄砲を作り、雀に向ける。
 集中。のち、発砲。
 撃った弾は寸分の狂いもなく狙い通り、木の枝に当たって、驚いたらしい雀が飛び出す。
 空へ。
 瞬間、緑間の視力が戻った。
 別の山へ、遠くへと飛び去っていく小さな影を目視する。
「空気抵抗の禊完了。目標までの距離――ざっと二町ってとこかね。追尾いる?」
「要らない。それくらいなら当てられる」
 二町ってだいぶあんだけど、と苦笑いしながらも、出番を終えた高尾は高みの見物を決め込むのみだ。
 薄く唇を開いて、小さく息を吐く。弓に矢をつがえながら、空だけ見て、位置を定める。弦をぎりぎりと引き絞る。
 ふ、と的が合った、その感覚に従って、矢を離した。
 まっすぐな軌道を描いて、細い線が点に向かって飛んでいく。伸びて伸びて、――ざくん、と、頭を貫いて、ぎゃあと鳴いた、鳥と羽と血と一緒に堕ちていく。
 その光景を静かに見送って、弓を下ろした。
 久しぶりだったから少し動揺した。過去に何度でもあった体験だ。何とも言えない後味の悪さが込み上げる。
 ――ああ、そして思い出す。
 そういうときは決まってただ、隣に立つ高尾だけが、
「お疲れ様でした」
 とねぎらって、おまえは何も悪いことはしていないと言わんばかりに、いつもの顔で笑いかけてくるのだ。


 さて、現在神秘を扱う数少ない退魔師は、主に二種類に分けられる。
 片方は寄宿舎で幼少期から術を学んだ者。こちらは在学中に班分けされ、座学を受けながら、各地を飛び回って妖怪退治の経験を積む。卒業後はどこかの藩主に仕えたり金持ちの護衛になったり待遇もよく、食いっぱぐれることはまずない。
 もう片方は近年幕府によって発足された対妖怪の警備隊に志願・訓練を受けた者。こちらは全国に派遣され、日夜妖怪との戦いに挑むことになる。相手が違うだけで、仕事内容としては火消しとそう違いはない。
 緑間、高尾、黒子、火神は前者、二名を除いた『誠凛の奴ら』は後者にあたる。


「……もーちょっと穏便には済ませらんなかったんすかねえ……」
「すいません。しかしもう終わってしまったことですので」
「はあ……」
「では辺りの浄化と遺骸の回収、よろしくお願いします」
 緑間が深々と頭を下げると、隊長の日向順平は大変嫌そうな顔で後ろ頭を掻いた。
「……ったくしゃーねえ……おいおまえら、日が暮れないうちにさっさと終わらすぞ!」
 おー、とかうっす、とか、まばらな返事が飛び交う。
「悪いな、手間掛けさせて」
「まー、仕事だからいーけど……」
 高尾が謝る相手はうんざりした面持ちの火神であり、
「二人が出なかったら大変なことになっていたんでしょうし、気にしないでください」
 その隣に、ひょこひょこ歩いて追いついてきた黒子が立つ。黒子は本人の希望で、時々周りに手伝ってもらいながら、村の小さな寺子屋と警備隊を掛け持ちでやっているのだった。
「高尾、帰るぞ」
「あーはいはい、……じゃお先に失礼するわ」
「お気を付けて」
「またなー」
 高尾は小走りで連れの方へ向かい、誠凛の大勢はぞろぞろ山の方へ歩いて行く。
 と、そのうちの一人が、振り向いて小さくなっていく背中を煙たげに凝視した。
 気付いた火神が声を掛ける。
「どうかした……ですか、伊月先輩」
「いや、……なんかあいつおかしくないか?」
「おかしいって?」
「確かに人間なんだけど、――妖怪でもある、みたいな」
 黒子と火神が顔を見合わせた。
「……伊月先輩もよく見える人ですからね」
「普通にしてりゃまずわかんねえのにな」
「何か訳ありなのか?」
「ええ、まあ――訳ありとかいう規模でなく大問題が」
 そこで、後ろから来た河原が思い出したように口をはさむ。
「そういえばあの二人って、一時期は妖怪退治でいろんなとこ回ってなかったか? うちの村の近くの遊郭に化け猫が出たとき、来てたような」
「ああ、うちの寄宿舎は依頼があれば率先して生徒を駆り出してますからね」
「やっぱりおまえ達と同期なのか? じゃあ先天的な半妖とか?」
「何なに何の話ー?」
 のんびり雑談しているうちにぞろぞろと組の人間が集まってきて、「緑間と高尾? そういえば経歴は全然知らないな」「俺らが来る前に村の問題片付けたとかいうんだから、ただもんじゃないのはわかるが」「え、俺知らなかった! すごいんだなあの二人!」「…………」「あいつらがどうかしたのか?」「いや、ていうか俺はあの二人と初対面なんだけど……なんか感じが」「感じ?」「ていうか黒子と火神が知ってるらしい」
 と早口で勝手に話を纏めてしまい、全員同時に二人の方をぐるりと振り向いた。ある種異様な動作と雰囲気に、黒子も火神も肩を跳ねさせる。
「どうします火神くん。あまり込み入ったことを、他人の口から他人にぺらぺらと話すのはどうかと思うんですが」
「まあ……いんじゃね。本拠地近いから、皆もあいつらと付き合い長くなりそうだし。高尾だったら笑って流しそうだし」
「そうでしょうか」
 しかし黒子も、周囲の興味の目の重圧には敵わなかった。
「……じゃあ、お話ししましょう」
 はあと溜め息を一つ溢してそう言うと、ちらほらと歓声が挙がった。
「――僕と火神くん、彼らが寄宿舎で同期だったのはご存じだと思いますが。最初は高尾くんが一方的に敵対視していたようですが、任務での配属が同じになってからは打ち解けて、大変息の合った二人組でした。堅物で唯我独尊の緑間くんを、陽気な高尾くんがうまく緩和していて――見る能力に長けた高尾くんと長距離攻撃特化の緑間くんは、戦闘での相性も良かったようですし。成績もめきめき伸びていって、学内でもちょっと有名だったんですよ。僕たちと同じくらい」
 付け加えられた言葉に火神がうんうんと頷く。どうやら二人とも張り合い、は知っていても、謙遜という単語は知らないらしい。
 木吉が笑い、あーはいはい、と嫌そうに相槌を打ちながら、日向が先を促す。
「だけれど、とある任務で」
 きっと河原くんの住んでいたところとは違うでしょうが。
「高尾くんが、亡くなって」
 え、と辺りがどよめいた。
「――緑間を庇ったらしい、です。あいつがいらいらしてんのはいつものことだけど、あんだけ怒ってる緑間は見たことなかったっすよ」
 火神がそう付け加える。
 黒子が一度息をついて、再度話を続ける。
「大怪我をして、即死だったそうです。もう治癒を掛けても無駄だと、一目見てわかるくらいだったと。……だけれど、緑間くんは高尾くんを式にしてこちらに繋ぎ止めた」
「……できるのか? そんなこと」
 伊月の声を受けて、できたんです、と返した。
「ちょうど戦闘の場所になったのが民家で。逃げ遅れの猫がいたらしいです。そして緑間くんは医療術も取っていた」
 数人、腑に落ちないように顔を曇らせる。語り手は嫌な顔一つせず、まるでいつもの授業のように淡々と説明をする。
「人間は脳からの信号で肉体を動かしていますよね? なのに、肉体の無い霊魂が腕や足を動かせるのはどうしてだかご存知ですか?」
「………………えーと、魂が覚えてるから、じゃなかったっけ」
 おそるおそる答えを出すのは小金井である。
 そう、と彼は正解を告げる。
「霊になってしまえば成長はできませんが、生前に覚えたことは、魂の方にも経験が刻まれているからできるんです。そして人より動物の方が、魂の受け皿が小さいというのは何となく理解してもらえますか?」
「な、なんとなくなら……」
 だんだん小難しい話になってきたことに全員が気付き始めた。勉強嫌いで事情は承知の火神など、大変眠そうに目を細めている。
「動物の体に人の魂は、大きすぎて収まらないんです。猫は何も考えていないから気楽なものですが、人間は記憶や感情、情報、起源、そういったものが容量を取っていますから。――だけれど緑間くんは、そのへんにいる猫の体に、高尾くんの魂を突っ込んでしまったんですよ」
「え? でもさっき無理だっておまえが……」
黒子はその質問に、目を伏せ、とても静かな口調で、「魂を弄ったんです」と答えた。
「体の動かし方、数十年間の人生で蓄積した記憶、全て削って容量を小さくして、本当に最低限の高尾くんの情報だけを残して、なんとか全て猫に収めた。それからその猫と式契約をした。式にすれば主となった人間は相手の存在に干渉ができる。そうやって運動神経、感覚神経、思い出、根こそぎ奪ってしまったありとあらゆるものを自らの手で補うことで、彼は今、高尾和成という人物を再現しています。……要するに、現在の高尾くんは半分猫で半分人間状態の式神で、緑間くん抜きでは生きていけません。指先一つ動かすこともままならなくなる」
 全員、驚愕でしばらく声が出なかった。
「……ていうか、よく緑間もそんな芸当やってのけたな……」
「本人も無我夢中でどうやったかは覚えていないそうです。彼の御実家は退魔師の名家ですし、ここ数年の中でもとびきり優秀だった五人組の一人に数えられるくらいの天才ですからね。医療術もかじっていたから運が良かったというか――まあ、その騒動で勘当と破門の両方を突きつけられて、大坪さんという方の紹介であそこに住みついて、今はすっかり隠居状態のようですけれど」
「え? なんで? 式にしなくちゃいけないとはいえ、死んだ人間を帰ってこさせられたなんて大発見だったんじゃ?」
 一瞬間があった。
 口を出した小金井があれ? という顔をして、急に黙り込んだ仲間の顔をきょろきょろと見回す。
「生きもんの魂を弄るのは邪法中の邪法だろ。死霊魔術師だって今問題になってんじゃねーか」
 他の気持ちを代弁して、日向が答えた。さらに木吉が眉根を寄せ、腕を組みながら、
「しかもそういう事例は呪いに入るんじゃないか? 振り返しも半端じゃないはずだ」
「……そうですね」
 ただ肯定だけして、返事はせずに、黒子は目を伏せる。何か物思いに耽るように。
 話を聞き終った隊の全員も何も言わない。夕暮れに染まる空、風に揺れる木々の音がどこか不気味に見えた。気まずい沈黙が支配する。
 が、しかし。
 それは総員の背後から、豪快にぶち破られた。
「こらあ――! 何油売ってんのあんたらは――!」
 よく聞き慣れた女の声だった。
 全員が一斉に振り向くと、浅葱色の和服姿の少女が、大きな風呂敷包みを持って仁王立ちしていた。
 差し入れを持って来た相田であった。
「もう日も暮れるでしょうが! さっさと片付けないといつまで経っても終わんないわよ!」
「はいい!」
 その声で、蜘蛛の子を散らしたように動き始める。
 火神も駆けだそうとして、しかし途中で足を止めた。後ろにいる黒子だけは、放心したように立ちつくしたまま動かなかったのだ。
「……どうした?」
「あ、……どうした、というほどのことでもないんですが」
「何だよ、もったいぶらずに言え」
 黒子は浮かない顔をして、おずおずと口を開いた。
「――緑間くん、この間うちの寺子屋に尋ねてきて」
「……なんのためにだよ?」
「高尾くんを譲りたい、と」
 火神は目を丸くした。
「……もしかして、もうやべえのか」
 人を呪わば穴二つ。生き物の道を歪めてしまった者には、何らかの罰がある。
 先ほど退治された夜雀も、もう少し長く生きていれば、自分の呪いをゆっくりと返されて目が見えなくなっていたはずだった。しかし緑間の方はそれだけでは済まないだろう。緑間が行ったのはかなり大規模な呪術である。木吉の言う通り、返ってくる呪いの量もかなりのものだ。それこそ、死を覚悟しなければならないほど。
「わかりません」
 黒子はゆっくりと首を横に振る。
「……高尾くん、緑間くんの相棒になるんだ、対等に張り合えるくらい強くなるんだって、一生懸命頑張っていたでしょう。だから今の、緑間くんにおんぶにだっこの現状を、尚のこと快く思っていないはずなんです。目が覚めたときすごい荒れようでしたし、緑間くんが一人でそんな話題を持ち出してきたところを見るに、きっとまだ和解できていないんじゃないかと」
「……まあ、高尾でなくともそうなるだろうけどな」
 火神がやりきれない、という顔で頭を掻く。
「難しい話ですね。僕も火神くんとそんなことになってしまったらと思うと――」
「…………」
「……想像しただけでぞっとしますね」
「え!?」
 勢いよく振り向いて見た、黒子の表情はいつもの読めないものにすっかり戻っていた。
「早く仲直りできたらいいんですけどね」
「……ああ、まあ、そうだな……」
 火神がやや複雑な面持ちで肯定した、そのとき、
「おいおまえら何さぼってんだー! 早くしろー!」
「すんませーん!」
 山の探索組は駈けずり、銘々の仕事を消化しにかかる。
 彼らもまた同じ職種ではあるが、二人とは違う道を歩んでおり、たまに交わることはあっても、一緒に行くことはない。ここにいるのは、そんな人々だった。


 山を下りると、被害にあった子どもはすっかり元気を取り戻しており、高尾の「もういじめんなよ」という説教も、懲りたのか素直に聞いた。母親にひたすら頭を下げられるわ、夕飯をいただいていたら男衆が酒を飲みだして宴会状態だわで、家に帰るのが大層遅くなってしまった。
 風呂に入って寝支度を整え、
「あーつっかれたなー! さすがに久しぶりの妖怪退治の後でどんちゃんは堪えるわー」
「高尾」
「どうした?」
「話がある」
「……ん、わかった」
 一緒の部屋に入った。
 蝋燭に火を灯す。部屋が深い橙色で照らされる。
「で、どしたの? 話って」
 間隔を開けて、膝を折って高尾が座る。緑間も静かに正座した。白い服が闇に僅かに浮いて見える。
「昼に」
 唇が動く。凛とした声。
「黒子のところへ行った」
「行ってたな」
「提案したのだよ。――おまえを貰ってくれないかと」
 高尾は。
 口をぱかりと開いて、またぐっと閉じた。続きを話せと促すように。
「……なあ、山に入ったとき、俺はおまえに聞きたいことがあると言っただろう」
「……言ったな」
「ずっと聞きたかった。でも聞けなかった。だけどもう、現状維持はやめにした」
 高尾、おまえは、と、緑間はまっすぐ琥珀色の瞳を見つめた。
「――俺のことを、恨んでいないか?」
 相手のその鮮やかな色が、小さく揺れた。
「今でも。自分のしたことは間違っていないと思っているし、後悔もしていない。だが、おまえの命を長らえさせたいのは俺の意志でしかない」
「……そうだな。むちゃくちゃ我儘だと思うよ、おまえ」
 しかし高尾は緑間の方を見つめ返して、はっきりと返事をした。
「恨んでねぇよ」
 真面目な声。
「……恨んではないけど、怒ってはいる。責めてもいるし呆れてもいる」
 高尾は溜め息を吐くように言った。
「……ほんとさあ、何やってんのおまえ。将来有望で、才能もあって、長男で家も継がなきゃなんなかったのに、どうして俺の方取っちゃったわけ。俺が身を挺して庇ってやったのに、そういうの全部棒に振りやがって……」
 緑間の顔色は変わらない。ただ淡々と言い返す。
「庇ってくれと頼んだ覚えはない。俺の方こそ、相棒相棒とさんざ纏わりついて関わっておきながら、目の前で勝手に身代わりになって死んで、目覚めが悪いったらないのだよ。それに今の生活も悪くはない。……妹に苦労を掛けるのはすまないと思っているがな」
「俺はこんな体にして、おまえ自身はそんな体になってさ。俺はあんなことしてほしくておまえの相棒になったわけじゃねぇって、目が覚めたときに言ったよな」
「しかも拳骨付きでな」
「ていうか、俺の元になってる猫様には悪いけどなんで猫なんだよ、どうせなら鳥にしろよ……」
「あの状況で猫が傍にいただけで奇跡のようなものなのに鳥など捕まえられるか馬鹿め。贅沢言うな。おまえだって耳を生やして満喫しているだろうが」
「そうでもして前向きになんねーとほとんど利点ねーんだもんこの体。ほんとに猫様には悪いけど」
「生きてるだけで丸儲けだ。笑顔のまんまだ」
「どうしておまえはそう自分の非を認めたがらねーかなあ!」
「非だと思ってないからに決まっているだろうが!」
「俺そういう真ちゃんの妙に自信満々で頑固なとこ昔から嫌いなんだけど!」
「おまえこそ耳の件といい本音を仕舞いこんでへらへら笑っているところが腹立つのだよ! 人の気持ちなんて言われないとわからんに決まっているだろうが! ほんとは嫌でしたとか後で言われてもどう対応しろと言うのだよ!」
「そりゃ真ちゃんが鈍感なだけだっつうのばーか!」
「馬鹿って言った方が馬鹿なのだよばーか!」
「おまえも馬鹿って言ってんじゃんばーかばーか」
「もういい表へ出ろ、いつもの通り勝った方が正義だ!」
「上等だやってやろうじゃねぇか!」
 ぎりぎりぎりぎり。
 火花が散りそうな勢いと目力で睨みあう。
 二人でしばらくそうしていたが、やがて同時に、躊躇うように勢いを萎ませた。
「……そういえば、昔は意見ぶつかるたんびに部屋出て組み手してたな」
「……そうだな」
 あーやめやめあほらしい、と高尾が大袈裟に首を振る。
「それにさ、どうせ俺らで意見のすり合わせなんてできねえと思うぜ」
「――何故だ?」
「だって俺らお互い言ってること一緒だろ」
 それから高尾は緑間を指さす。
「結局真ちゃんが俺を呪った理由って、……俺が死ぬのが嫌で、黙って見てるなんてできなかった。そんなとこだろ?」
 問われた人間は返事をしなかった。この男の場合、反論が無いのは肯定しているのと同じである。
「俺もそうだし」
 唇が、疲れたような声色に染まる。
「どっちが悪いとかだめとか、無いんだ、多分」
 強いて言うならどっちも悪い。加害者とか被害者とか決めようがない。だからそういう終着を目指そうとすると、どうしても話がこじれる。
 会話が途切れた。蝋燭の灯りがちらちら揺れる。
 どこか殺風景な畳張りの部屋。村のはずれにあるこの屋敷は、空き家になっていたのを紹介してもらったもので、二人で住むには少し広かった。元は金持ちの別荘だったようだ。
 たっぷり時間を置いて、頭も冷えて。
 さてどう声を掛けよう、と緑間が考えていると、
「――真ちゃん」
 不意に。
 白い寝間着姿の高尾が、ゆっくりと両腕を広げた。
「ちょっと、来て」
 緑間は一瞬だけ固まって、やがて何も言わずに高尾の元へ歩み寄った。
 自身も腕を広げて、目の前に来た小さな体を抱きしめる。衣擦れの音。緩慢な動作で背中に腕が回される。
「……あったかい」
「……そうだな」
「…………だから、やっぱり、良かったと思うんだよ。真ちゃんが死ななくて。俺だって後悔はないし、いくら怒られても撤回なんてしねぇよ。絶対」
 緑間の肩に顔を埋めて、高尾はぽつぽつと、吐き出すように言葉を紡ぐ。
「だから、俺は真ちゃん許すつもりはない。そしたら、おまえが自分の大事なものをあっさり放り出したことも、許すことになるから」
「…………」
 後頭部に手を回す。黒い、洗い立ての細い髪が、指先に触れて滑らかに流れる。
「……俺だって、一生許してやるつもりはない」
 そうとだけ言った。
 肩口で高尾が笑った気がした。
「じゃあもうそれでいいんじゃね、あいこで手打ち」
「…………」
「ちゃんと決着付けないのは嫌? ご主人様」
「それでいいから主扱いはやめろ」
 少し声を張り上げて言った。
 なんとなく察していた。高尾が自分を式だから使い魔だからと卑下するのは、負担を掛けている緑間に負い目があるからだ。よっかかって、もう対等に立っていられなくなってしまったから、使いっぱしり扱いでもいいと思っている。
 だけれどそれは緑間の方が嫌だ。
「おまえは、――俺の相棒だろう」
 力を込める。親に対する子どものように、絞り出すように訴える。
 するとぼそぼそ声が聞こえてくる。
「…………それだけ?」
 頭が持ち上がった気配があった。
 腕を緩めて、体を離して高尾を覗きこむ。琥珀色の瞳が、薄く張った涙の膜が、蝋燭の光のようにたゆたっている。
 肩に掌を置いて、そっと、目を閉じて自分の顔を近付けた。
 微かな音をたてて、唇が浅く触れ合った。温かくて柔らかい。小さく漏れた吐息で僅かに湿る。しかしそれ以上は何もせず、すぐに離れる。
 もう一度見た高尾は、目を細めて、淡く笑っていて。
 ――あの一件でいろいろなものをなくした。迷惑も掛けている。圧倒的な加害者側。だけれど誰かを助けたりもする。
 そして手元に最後に残ったものは、守り通したものは、こんなにも温かくて愛おしい。
 目を閉じる。そこに溜まった何かが零れ落ちないように。
 ――もう取り返しはつかない。
 歩いて行くしかない。失ったものを無駄にしないためにも。
 ――それで、いいんだ。
 だって、いつか報いを受けることになっても。
 その最後のときにさえ、自分は後悔なんて、しないのだろうから。


 灯りを消せば、部屋には途端に夜の群青色が流れ込む。
 布地が仕切る空間の中、体温を持ち寄って柔らかな温かさを感じていると、不意に小さな影の方が身動ぎした。
「――――そういえば、真ちゃん」
 小さな声が空間を滑る。
 図体の大きい方は、目を閉じて規則正しい呼吸をして、何も言わない。
「俺、黒子のとこには行かねえよ」
 頬の辺りに手が置かれる。筋張った男のそれだったが、やっぱり優しく温かい。
「最後の最後まで枕元に立って、恨み言呟いて化けて出てやるって決めてっから。それに途中で放り出すってえのは、真ちゃん、ちょーっと無責任じゃね?」
 髪に移動して、撫でて、撫でて。
「……あんま水臭いこと言うなよ。ぼろぼろになったら世話してやるし、見捨てたりしねーよ」
 真ちゃんがいなくなったらさ。
 わりともう俺、生きてる理由ないから。
「――寝たふり決め込んでくれてありがとな。おやすみ」
 締めくくって、高尾はもぞもぞ動いて布団の深いところまで潜りこみ、隣に寝そべっている緑間に体をくっつけて、目を閉じた。
 しばらくしてから聞こえてくる寝息。
 入れ替わりに。
 音もなく目を開けて、
「………………………………」
 緑間は無言のまま、数分何もない空間をぼうっと眺め、やがてまた深い眠りへと落ちて行った。


「というわけで高尾にはあっさり断られた」
「そうですか。だと思いました」
 翌日、昼。
 例の寺子屋の一室に陣取り、黒子と緑間は顔を突き合わせていた。湯気の立つ緑茶の湯呑み、きなこをまぶしたわらび餅を咀嚼しながら、緑間は不機嫌そうに眉を顰める。
「……まるで予想がついていたような言い草だな」
「ような、じゃなくてついてました。――実は昔、高尾くんに言ったことがあったんです」
 高尾は何も用がなくてもこの寺子屋に遊びに来る。そのとき接触があった。
「『もし緑間くんの先が短いのなら、せめて高尾くんだけでもうちに来ませんか』って」
 すると縁側に寝そべっていた高尾は、浮かない顔で少し考え込んでいた様子だったが、やがてどこか遠くを見る目をして、こう答えたらしい。
 ――俺は、きっと、緑間が見てる夢みたいなもんなんだと思う。
 ――夢、ですか?
 ――高尾和成に死んでほしくない、まだ生きていてほしいっていう、夢。
 その後くしゃりと笑みを取り繕って。
 ――夢はさ。見てる奴の目が覚めたら、一緒に消えるのが道理だろ?
 そうして、にべもなく黒子の誘いを断った。
「高尾くん、律儀ですね」
 お茶を啜りながら黒子が呟き、緑間はふんと鼻を鳴らして餅に楊枝を突き立てる。
「そう言うおまえは抜け目がないな。相変わらず」
「別に高尾くんを取ろうと手を回していたわけではありませんよ?」
「わかっているのだよ」
 口の中に放り込んで、咀嚼しながら黙り込む。黒子は涼しい表情だ。上目遣いに友人を見て、それから口元を綻ばせる。
「その様子だと和解できたみたいですね。良かった」
 仏頂面の緑間くんの表情がいつもより少しだけ柔らかい、と黒子は指摘する。
 対する仏頂面男は、じろりと見るだけで何も言わない。
 その瞬間、黒子の背後の襖がすぱーんと勢いよく開いた。
「こんちはー」
 子供かと思えば高尾だった。何故か今日も猫耳を出している。
「いらっしゃい高尾くん。今お茶を」
「あ、もうかえっからお構いなく。真ちゃん、宮地さんが今日こそ手伝いに来いって怒ってんぜ。もう目尻こーんな吊り上げちゃって相当おかんむり」
「……わかった、今行く」
 黒子に邪魔をしたと断りを入れて、座布団から腰を浮かす。指で自分の目尻をこれでもかというほど引っ張り上げていた高尾もそれをやめて、踵を返そうとする。
 が、黒子に先に呼び止められた。
「秀徳さんはお祭り、なんでしたっけ?」
「そうそう。おまえも来てみろよ、結構盛大にやってんぜ?」
「いいですね。是非行きたいです」
「来たらまた声掛けろよな。じゃ、お邪魔しました」
 外に出る。今日は天気が良くて、太陽の光が燦々と大地に降り注いでいる。
 ぶらぶらと足を進めて、肩を並べて歩く。
 最中、包帯を巻いた左の掌を見た。
 あの一件からしばらくして、緑間は高尾に肌を晒さなくなった。――この間退治した雀と同じだ。背中やら腹の辺りに禍々しい、大きな刺青が浮いてきて、見せたら余計な気遣いをさせると思ったのである。いや、格好いいとか笑うかもしれないが。大きさからして呪いの払い戻しの進行度が丸わかりだから、やはり言わないことにしておこうと思う。
 左手も動かなくなりつつある。包帯を巻いているのは弓を引くから、なんてのはただの言質だったりする。
「――高尾」
 先行する背中を呼び止める。
 ひょこひょこ耳を動かして、振り向く。
「これでいいんだな」
 一拍置いて、高尾は笑った。
「いーよ」
 ではもう何も言うまいと。
 緑間は沈黙して、また歩き出す。

 さて、明日は村を上げてのお祭りである。緑間も高尾も、火消しの屯所に着いたら宮地にどやされ、慌ただしくどこかへ繰り出す羽目になるのだろう。
 お互い一緒に居て、いつか近い未来に二人ともいなくなる。
 だけれどそれでいい。
 相手と一緒だから。
「今日頑張った分明日は楽しまねーとなー、真ちゃん屋台で何食べたい?」
「……林檎飴」
「ぶっ……おま、顔に似合わず可愛いもん……」
「笑うな!」
 歩調を合わせて、ゆっくりゆっくり。
 耳を揺らして袖を揺らして。
 二人の影はだんだんと小さくなって、そのうち芥子粒ほどになって、寺子屋からは全く見えなくなった。




/退魔師パロ