木村信介に言わせれば、宮地清志は「喧嘩っぱやくて口が悪いくせにクソ真面目で頑固で曲がったことが大嫌い」らしい。
 間違ってはいないと思う。というかその通りだと思う。さすが二年の付き合いになる友人だけはある。まあ宮地の方も木村について同じくらいの量の情報が、同じくらいの精度で言えるのだが。
 しかし他の奴はそうもいかない。別に悪いことではないし当然なのだが、こちらの癪に障ることを大きな声でペラペラと囃し立てられるのは、やはり気持ちのいいものではない。
 居残り組と帰宅組で混雑するバスケ部の更衣室。立ち並ぶロッカーは六割ほどが開いており、汗くさいわむさい野郎の鍛えた体が立ち並ぶわで大変悪環境だ。さらにもう九月になるというのに、外はまだ暑いのである。
 そんな中でも聞こえてくる声。
「高尾と緑間今日も残ってたなー」
 ――またあいつらかよ。
「とーぜんだろ、インターハイ出られなかったのあいつらのせいなんだから」
 ――おまえが出てたら行けたとでも言いてぇのか。
「だよなー、ウィンターカップは頑張ってもらわねーと。緑間はともかく、監督もなんでポッと出の一年なんか起用したんだか」
 ――おまえらより使えるからだろ。
「高尾もうまいこと取り入ってさー、ちゃっかりスタメン入りまでしやがってむかつくよなー。ほら、久藤先輩こないだ部やめたじゃん? あれ絶対高尾のせいだぜ」
 舌打ちが漏れそうになるのをようやっと堪えた。
 力任せにロッカーの扉を閉めた。バン、と思いの外大きな音がした。しかし反応など知るものか。二年連中など少々仲がこじれたところで元々ほとんど接点がない。
 室内の誰とも目を合わさず、足早に外へ出る。一直線に体育館を目指していたら、後ろから「おい待てよ」と声が追いかけてきた。
 例によって木村だった。
「おい」
「んだよ」
「よく我慢したな」
 立ち止まって、振り向く。訝しげに顔を顰め、睨むようにそちらを見たが、坊主頭の同級生は涼しい顔で応対してくる。
「……別に我慢なんてしてねーよ」
 木村が追いつくのを待って、薄暗い廊下を、肩で風切って並んで歩く。
「でもおまえああいうの一番嫌いだろ? キレるかと思ったぞ」
「口挟んだらオレが高尾の肩持ったみてーになるだろが。何でオレがあいつの味方しなくちゃいけねぇんだよ、めんどくせえ」
「どうでもいいが腹立てると早口になる癖、いい加減直せよな」
「うるせえ轢くぞ」
 ここでへいへい、と軽く流せるあたり、この男は宮地の扱いを心得ている。件のやかましい後輩なら「先輩ひでえこんなときくらい助けてくれたっていいじゃないすかー」なんてへらへら笑って、怒りの炎にガソリンを注ぎまくっているところだろう。
「でも別におまえ、高尾が落とされたから腹立ててるわけじゃねぇだろ?」
 こう返す辺りもよくわかっている。宮地は拗ねたように黙りこんで、やがて唇をわずかに尖らせた。
 木村が承知のようなので口に出さないが。
 ――全部高尾のせいにして、自分は安全席で好き勝手文句つけてやがるところが気に入らねぇ。
 不甲斐ないにも程がある。おまえらそれでも秀徳バスケ部かと言うのだ。文句があるなら練習して席を奪って、自分が思い描くプレイをすればいい。外野から、終わった後から「ああしておけば」「こうすれば」なんていくらでも言える。
「……どいつもこいつも」
 ドスの効いた声でぼそりと呟く。
 そんな不機嫌真っ盛りの宮地などどこ吹く風で、木村はしみじみ呟いた。
「しっかし久藤の言ってた通りになったなあ。まあそれくらいオレでも予想はついたけどよ」
 出されたのは、後輩たちの槍玉に上がっていた名前だ。
 宮地、木村と同級生の三年生。背番号は七番。ポジションはポイントガード。――二年からレギュラー入りしてちょこちょこ起用されていたのだが、高尾が入部してからスタメンから落ちてしまった人物だ。
 同じように、緑間の登場で落ちたシューティングガードの同級生は二か月ほどで辞めてしまったが、彼らの方は別に本人達の仲が悪いわけではなかった。むしろ良好だった。高尾は自分がまだ一年で経験も浅く、先輩から学ぶものはたくさんあるということを重々理解していた。「一年」で「秀徳」の「レギュラー」を取ったからといって決して天狗になることはなかったし――まあ、仮にそうなっていたら宮地がシメていた――、久藤の方も「落ちたのは自分の実力不足」と相手を責めるようなことはしなかった。後輩側の人なつっこさに、先輩側の温厚さは相性が良かったのもあっただろう。
 しかし今。
 彼はもうバスケ部に在籍していない。
 高尾のせいと言えば、高尾のせいだった。
 九月に行われる二者面談。進路やら成績やらを最終確認する場。すぐ近くの三者面談の前哨戦。
 宮地は名簿が後ろなので、まだ面談の順番が回ってきていない。大坪や木村に聞いただけだが――部に所属している三年生は、全員言われるらしい。
 秀徳高校バスケットボール部の夏での引退を検討せよ。
 インターハイに出場できないとなれば、冬は諦めて受験勉強に専念しろと言われるのは当然だった。
「あいつは――残ると思ったがな」
 木村がぼやく。
 正直なところ宮地もそう思っていた。
 後輩の指導もして、毎日遅くまで残って、練習して練習して練習して。スタメン争いもまだ諦めていない、前だけを見て高校最後の大会に臨むものだと、思っていた。

 ある日の放課後。緑間にスクリーンを仕込むためにスタメン全員と三年生数人(自分たちの友達)、一年数人(緑間高尾の友達)で残って帰る際。背番号七番はあっけらかんと、いつもの笑顔で言い放った。
「あ、オレ、夏でバスケ引退するから」
 一拍間があった。
 全員が「はあ?」と大声を出した。
「えええええええなんでそんなあっさり!?」
「つーかいきなり!?」
「な、なんでっすか先輩! ウィンターカップまだあるじゃないすか!」
「うーん、実はオレ、志望校にちょっと成績足んなくてさー。親もうるさいし、心残りもわりとないし、もういいかなって」
「いいかなっておまえ何言ってんだマジで殺すぞ!」
 考え直せなんでだ納得のいく理由を提出せよ、と更衣室が一気に騒がしくなる。
 ただ一人大坪だけが「静まれ静まれ」と周りを諌めた後で、
「……おまえのことだから、ちゃんとした理由があるんだろう? どう……っしても嫌じゃないのなら言え、でないとこいつらは納得せんぞ」
 オレもな、とチームメイトを見据えた。
 同級生と後輩の必死な視線も浴びて、久藤は眉を下げ、困ったように笑っていた。いつもの、子犬みたいな笑顔だった。
 それから彼は穏やかに高尾を見据えて、
「――高尾ってさ」
 はい、といい返事をした後輩を、
「いい根性してるよな」
 真正面から迎撃した。
 ずどーん、と音がしそうなストレート射撃だった。
 高尾がどこかの新喜劇みたいな勢いでひっくり返った。
「た、高尾が死んだ!」
「この人でなしー!」
「え? 今の悪口のつもり一切なかったんだけど」
「いや、その言い方は悪口に聞こえるだろ……おまえ自分の立場考えろよ……」
「高尾ー! しっかりしろ高尾ー!」
「……もう高尾はいいですから続けてください、話が進みません」
「緑間おまえそれでも相棒か!」
 久藤は精神的ダメージを受けてへたばっている高尾を見て、また曖昧に笑って、「いやほんとに悪口じゃないんだって」と言う。
「……高尾はさ。毎日毎日がむしゃらに練習して、何回もげーげー吐いて。他の奴に嫌味言われてもちゃんと練習来るし、全然気にした様子もない。トリプルスコアで負けても、またバスケやろうって気になる。『鷹の目』なんて力持ってるし、才能はあるけどやっぱり凡人の域を出ないのに、『あの』キセキの世代の相棒とか名乗っちゃって。それで緑間にくっついて腰巾着とか使いっぱしりとか言われても、これまた気にした風でもない。なんていうの? 図太いっていうか……へらへらしてるくせに結構いい性格してるんだよな」
 その重圧。
 考えただけで、鉛を飲み込んだみたいに、嫌な気分になるような。
「オレは、何度も吐いてでも練習する気力はないし、あそこまで言われて平気ではいられないし、そこまでボロボロに負かされたら立ち上がれないし、緑間の相棒なんて絶対名乗れない」
 久藤は穏やかな顔で、緑間の方に視線を移す。緑間はそれをいつもの鉄面皮で受け止めて、しかし、何も言わない。
「高尾が入ってきたとき、あーこいつかなりうまいなと思っててさ。技術はどっこいどっこいだったから、あとは気持ちで負けたら、オレはすぐスタメン取られるなって感じてた」
 その結果がこれだ。
 もう既に負けていた。
 あくまで穏やかに、彼は自分の心情を語る。
「努力もしたし全力出した。それに正直、出られないってわかってる試合まで待ってくれって言えるほど、環境って優しくないんだよな。だから――」
「……っ、それでも」
 全員が絶句して反論できない中、ただ唯一高尾だけは声を挙げた。泣く一歩手前そのものの顔で。
「確かにオレは、どうでもいい人間のイヤミなんて右から左で聞き流せます。けど、……久藤さんは、どうでもよくないっす。まだまだ教えてほしいこといっぱいある。最後まで、一緒に、」
「高尾、やめろ」
 そのとき、牽制を掛けたのは宮地だった。
 個人として言いたいことはあった。文句もあった。だがその貌を見て、悟ってしまったのだ。――もうこいつは腹を括っている、誰に何を言われたって決意が揺らぐことはないだろうと。
 だから死者に鞭を打ってやるな、それ以上言わせてやるな。自分も、高尾も、久藤本人もますます辛くなる。
 しかし奴は困ったように、困った後輩に答えてしまった。
「ごめんな高尾。オレが辞めたらますます風当たり強くなるのもわかってるんだけど――でもさ、ごめん、オレもう」
 何か言いかけて、彼はそれ以上は言わなかった。
 代わりにすう、と息を吸って、静かに吐く。もう一度吸って、その吐息を声にした。
「――諦めた奴に、うちのバスケは相応しくないから」
 そしてにっこりと、かつて一緒に戦ったポイントガードだった男はやはり泣きそうな顔で笑った。
「大坪たちもごめん、オレ先に抜けるけど――高尾と緑間、頼むな」
 こいつら多分さ。
 あと二年したら、すごい奴らになるぜ。
 そう締めくくった。
 全員、何も反論できなかった。
 お通夜のような空気でぞろぞろと帰る途中、宮地は高尾の顔をちらりと覗き込んだ。目を潤ませて、下唇をぐっと噛みしめている。
「泣くなよ」
 そう言った。
 すると後輩は自嘲気味に笑って答えた。
「泣かねーっすよ」
 だってオレ、泣いていい立場じゃないっしょ、と。

 スポーツは残酷だ。
 力が足りなければ踏みつけられる。踏みつけた方だって、その感触は決して良いものではない。被害者がいて加害者がいる。自分はそのどちらにもなり得る。
 それでも前に進む。
 足を伸ばして、踏み出して、懸命に。

「……久藤。昔、変なこと言ってたんだよ」
 体育館のロッカーに置いたバッシュを上靴と穿き替えながら、木村が思い出したように言った。
 ちなみに木村は久藤とクラスが一緒である。靴に爪先を突っ込んで地面を蹴り、足を叩き入れながら、宮地はけ、と悪態を吐く。
「あいつが変なことぼやいてんのなんていつものことだろが」
 実はそうなのである。やや中二病くさいというか、たまに遠い目をして妙なことを呟くことがあった。同級生の間で、影で付けられたあだ名はポエマー。
「進路希望調査表。ベタなドラマとかで、よく紙飛行機にして飛ばしてっだろ。あれ、一回やってみたかったらしい」
「やりゃいいじゃねぇか」
「でも失くしたり出さなかったら怒られるだろ」
 そりゃそうだ。先生方にとってみれば、大事なプリントなのだから。
「あいつさ、」
 ――そういうこと気にしたり、一線を越えられないから、オレは凡人なんだろうなーってすごい思う。
 学生時代は限られていると言うのに。
 オレはきっと一生、このペラペラの紙切れを捨てられないまま終わるんだ。
「……ポエマーだな」
「……ああ、ポエマーだな」
 正直そうとしか言いようがない。靴ひもを結んで黙りこくる。
 気まずい空気を察したらしい、木村が素早く話題を変えた。
「そういえば全然話変わるけど、高尾と緑間、なんか妙な練習やってるらしいぜ。大坪が今探ってるみてーだけど」
「んなこと興味ねーよ。勝手にやらせとけ」
「それがなんか変わってる、っつってもか?」
「全ッ然」
 体育館に入った。
 コートの真ん中で、黒い髪と汗を散らして、高尾が三年生とワンオンワンをやっている。
 きゅ、きゅ、と鳴るバッシュの爪先。高尾の手の中で低くバウンドするボール。
 まっすぐ前を見据える、目。
 ばん、ばん、ばん、ばん。
 均衡状態。
 ばん、ばん、ばん、ばん。
 ――来る。
 足が動いて、きゅっと音が挙がった。
 一歩後ろ、右、はフェイク、ターンして左、ダッシュ、抜いた。
 シュート。
 リングに一回だけ当たって、がこん、の後でネットがボールを潜った。
 ちっちゃい方がガッツポーズを取って、大きな方が膝に手を付く。
「いよっしゃー!」
「くっそ……」
「……………………小柴、変われ」
「へ!?」
 宮地が進み出ると、高尾は焦った様子でこちらを振り向く。
「あ、み、宮地サンお疲れさんっす! いやいやオレなんか宮地さんに相手してもらうほどじゃないっすからー」
「じゃあ『相手してもらうほどになるまで』今日だけみっちりしごいてやる」
「えええええええ」
 後ろから木村の、「宮地ーあんま高尾に八つ当たりしてやんなよー」という声が聞こえてきた。口でそう言いながらあいつはわかっていると思うが、別に八つ当たりではない。後輩指導だ。
「おまえのオフェンスから。早く用意しろ殴っぞ」
「はい……」
 うんざりした様子の高尾がボールを構える。それに相対しながら、宮地は先ほどの木村が披露した、あいつのポエムを思いだす。
 ――自分は凡人なんだ、と久藤は言った。
 木村が言いたかったことはなんとなくわかってはいるのだ。あいつは努力もできた、実力もあった、宮地だって認めていた。高尾とは色の違うプレイヤーだったが、充分スタメンを狙える位置にいた。
 だけれど、凡人だからこそ、同じ凡人だけれど、それでも自分より強い高尾を見て、敵わないと思ってしまったのだ。
 それが宮地には、はらわたが煮えくり返るほど苛立たしい。
 ――どいつもこいつも。
 本当に。
 腑抜けた奴しかいないのか、うちには。

「で、宮地、部活動だが――」
「あー引退考えろって話ですよね、すいません他の奴から聞いてます」
 そう答えても、担任兼バスケットボール部監督の中谷は涼しい顔をしていた。人の口に戸は立てられないということを重々理解しているのだろう。
「辞める気ないですよオレ。一応もう言っときますけど」
 三者面談までに考えておけ、と締めくくる気だったのだろうが、先手を打ってそう答える。
 すると中谷はいつもの、指に顎を乗せるポーズで、飄々とした口調でぼやくのだ。
「春時点なら、少々強引にでも辞めさせる気でいたんだが――」
 聞き捨てならないことを聞いた気がした。
「……それどういうイミすか、監督」
 すかさず食って掛かる。中谷がじっとこちらを見つめてくる。一瞬怯みかけたが、膝の上の拳に力を入れて、見つめ返す。
「宮地―。うちに足りないものってなんだと思う?」
「はい?」
「私はねぇ。秀徳は、実力も選手層も、他の強豪にそう劣ってはいないと思ってるんだよ」
 だけれど、夏の大会には出場資格すら得られないまま敗退した。
 それは即ち、勝利を得るに至るための何かがチームに足りないのだと、部員たちを見守り指導してきた男は言う。
 宮地は少しだけ考えて、やがて、躊躇いなく答えた。
「チームワークじゃないですかね」
 というか纏まりを乱しているクソ生意気などなたかがこちらに合わせようとする気概。
 うん、と中谷は相槌を打つ。
「少なくとも緑間はそう考えたね」
 監督が用意した答えはなんだったんだよ、と宮地は思ったが、口には出さなかった。
 ――そう、ウィンターカップ予選。対策に開かれたミーティングで緑間は「オレが引きつけてパスを出します」なんてほざき、試合で有言実行した。結果は前回敗北した誠凛と引き分け。
 だからと言って、進歩しているのかしていないのか、それは宮地にはわからない。わかるのは、インターハイ予選よりもウィンターカップ予選、独断先行していた緑間がこちらを向き始めたと気付いた後の方が、やりやすかったしやる気も湧いたということだけ。
 きっとそれは、大坪や木村も同様だと思う。だって試合のときの表情や、緑間への対応が全然違う。
「今年の四月からうちは緑間中心で回してきた。キセキの世代――どんなかと思えば、自尊心は強い、我儘放題、根っからの王将気質の扱いづらい選手だった」
「一字一句同意しますよ」
 お互いよく一年付き合ってきたものである。いや、中谷の方は教師だから、宮地とは少々立ち位置が違うが。
「だがよく切れるカードであることに代わりはなかった。バラバラだろうと、他の選手のフラストレーションが溜まろうと、正直緑間さえいれば良かった。少々格下の相手なら、緑間にボールを回しておけば充分勝てたし、実際それで最初はなんとかなっていた」
 だが本当の最初だけだ。結局、そんなやり方は二か月ほどしかもたなかった。
「途中で緑間が変わらなければ――うん、正直、そんなチームは、おまえたち三年の将来への安全性を賭けてまで、勝たせてやる価値はないと思っていた」
 私は確かに監督だが、教師でもあるからね。
 表情一つ変えずそう語る中谷に、宮地は少々驚いた。
 この監督は四月、宮地たち三年生が積み重ねた努力を知っていながらも――三年間は緑間中心でいく、運が悪かったと思って諦めろと口にした。部を勝たせるのが最優先のバスケバカなのかと思っていたのだ。
「……けど」
 声を挙げる。
 ん、と相手が反応する。
「緑間は変わりました」
「――そう。だから、三年に無理に辞めろとは言えなくなってしまったんだよ」
 なあ、宮地。
「おまえはこのチームを強いと思うかな?」
 思い出す。
 木村と大坪、辞めていった同級生、努力する大勢、前を向く人々、陰口を叩く二年生、旗。
「緑間と高尾を信じられるか?」
 一人黙々とシュートを打ち続ける長身、こちらにパスを送る黒髪の三白眼。
「このチームは、――あの、今やうちの中心となっている一年坊主たちは。おまえは三年間の努力を、全力を、未来を賭けられるほどの価値があるか?」
「…………」
 宮地は。
 何も言わないまま。
「……三者面談のときまた聞くから、返事はそのときに。これで終了だ、もう行って構わん」
「……はい」
 機械的に失礼します、と頭を下げて、職員室を出た。
階段を下りて渡り廊下を進む。外の景色が見えた瞬間ようやく息がしやすくなった気がして、大きく深呼吸する。
「……だっせえ……」
 即答できる案件だったのに。どうも中谷が凄んできたので怯んでしまった。自分の苛立ちを見透かされた気になってしまったからかもしれない。
「あーくそ!」
 こういうときは体を動かして、さっさともやもやを忘れるに限る。一回更衣室に寄って、制服から練習着に着替えなくてはならないのが面倒くさい。
 ポケットに手を突っ込み、ぼうっと足を進めて角を曲がったら、
「……あ」
「あ?」
 トイレから出てきた、見慣れたでかいのと鉢合わせした。
 緑間だった。
「…………どうも」
「おまえ、なんでこんなとこのトイレ使ってんだよ」
 体育館の最寄りトイレは別にある。
 緑間は視線をずらした後、少し言いづらそうに口ごもった後、小さな声で答えた。
「……高尾が」
 それだけだったが、察した。
「……また吐いてんのか」
「……………………はい」
 舌打ちする。ただでさえちっこいのに、吐いてしまってはまた痩せるではないか。これくらい通常練習なのだから、さっさとスタミナを付けて落ち着いてほしいものである。
 ――そりゃ、隣でげーげー吐かれちゃ、落ち着いて用も足せねえわな。
 と宮地は実は思ったのだが、違ったらしい。
 並んで廊下をぶらぶらと、歩きながら話を進める。
「……あいつ、オレにはあまり、そういうときは同席してほしくないようで」
「あ? あー、けどおまえだって、げろげろやってるときに周りに誰かいてほしくねえだろ」
「ほしくはない、ですが」
 宮地は怪訝な顔をした。
 ――なんだこの歯切れの悪さ。
 気持ちわりい。いつも自信満々、他の人間など知ったこっちゃねーのだよ、という顔をしてやがる天才はどこへ行ったのか。少しだけ眉を下げて無表情を崩しているのがますます気持ち悪い。
「でも、背中をさする奴を追い返したりはしないでしょう」
「…………」
 そこまでされるのか。緑間は。
「しかしそれで気ぃ遣って遠回りしたのかよ。うわ」
「うわあとはなんですか」
「ついうっかり顔合わせたら気まずいとでも思ったのかよ、おまえが」
「だったら悪いですか」
 うわあ。なんだこいつ。本当にオレ様何様緑間真太郎様か。
「その顔やめてもらえますかね。……宮地さんは二者面談ですか?」
「…………」
 宮地は緑間の顔を見てしばし絶句していたが、やがてまっすぐ前を見直して、
「……そーだよ」
 と素直に答えた。
「提案されたんですか、引退」
「されたよ」
「引退するんですか」
「オレがするわけねーだろが、轢かれてぇのか」
 ちらりと見た緑間の顔を見て驚いた。緑間のレンズの奥の目。少し安心した色をしていたのだ。
「それとも、するとでも思ったのか」
 動揺したのを誤魔化すように聞き返すと、後輩はいつもの顔に戻って、眼鏡を押し上げる。内心ほっとした。
「しないだろうとは思っていましたが、……オレは、久藤さんも辞めないと思っていたので」
「…………」
 なんだか最近あいつの話題ばかりな気がする。
「……高尾、あいつのことでなんか言ってたか」
 あの暴露話以来、高尾は一切その話には触れなかった。いつも通りだ。そもそも先輩である宮地たちとはあまりバスケ以外のことは話さないし、先輩が引退したことで弱音を溢しているなら相手は同級生、特に緑間にだろう。
「何も言いません。けど」
「けど?」
「あの日の帰り、いつものようにリヤカーのじゃんけんをしたら、オレが勝って。でも変われと言われて」
 ――どうかしたのか。
 聞いたら、高尾は振り向いて、
 ――ごめん、今前見えない。
 それからも、リヤカーの中でうずくまって泣いていたらしい。
「泣くなっつったのにあいつ……今度轢くか、木村の軽トラで」
 緑間は同意も止めもしない。ただ少し何かを考えている様子だった。
 だがどうした、などと宮地は言わない。大坪なら言うかもしれないが、助け舟など出してやるほど、宮地は親切でも他人を構っている暇もないのである。
 しかし緑間は、やがて意を決したように唇を開いた。
「宮地さんは」
「何だよ」
「練習で吐いたことはありますか」
 一瞬考えた。
「一年んときに数回だけ」
 その後で、なんでオレはこいつに自分が吐いたかなんて答えているのか、と思った。
「オレはないです」
 緑間は言う。
「オレは、何度も吐いたことはないし、ひどい嫌味を露骨に何度も言われたことはないし、トリプルスコアで負けたこともないし、誰かの相棒を名乗ったことは、ないです」
「何が言いてーんだてめーは」
 目を細めて睨むように視線を飛ばすも、緑間が動じた様子はない。この顔をすれば基本的に後輩は怖気づくのだが、やはりこの一年は肝が据わっている。
「――わからないんですよ。他人の気持ちが」
 そっと手を上げて、緑間は掌を見る。左。テーピングを巻いた、いつもシュートを打っている手。
「久藤さんは高尾の苦しみがわかるから敵わないと思ったし、高尾は、久藤さんの悲しさがわかるから泣いたんでしょう」
 オレにはそういうのが一切ありません。
 人事は尽くしてきました。報酬(しょうり)に見合う努力はしてきたつもりです。
 だけれど大抵、やればなんでもできました。
 できないことはありませんでした。
 だから、わからない。――経験したことがないから、きっと彼らの気持ちはわからない。踏みつけられたことのない人間には、踏みつけにされる人間の気持ちがわからない。
 天才には、弱さを抱える人間の痛みがわからない。
「オレは、久藤さんは人事を尽くしていると思っていたんです。天命がちゃんと来ると思っていた」
 だけれどそうはならなかった。
 努力しても届かず、挫折してしまうこともあるのだということに、今の今まで緑間は思い至らなかった。
「だから、人事を尽くして天命を待つ、なんてのは、もしかしたら」
 綺麗ごとで。
 世界には本当に、どう頑張ってもどうにもならないことがあるのだと。
「――オレは昔、赤司を引っ張り下ろそうとしていたんです」
「赤司ってキセキの世代のか」
 緑間が小さく頷く。
 絶対的な天才。
 息を吸うように全てに勝つ。
「生まれてから一度も負けたことがない。できなかったことはない。敗北を知らないと言って――そんな顔しなくてもオレも嫌味だと思いましたよ。だからこそ負かしてやりたかったんですし」
 だけれどそれは、できなかった。
 赤司は一人特別扱いで、ふわふわと周りから浮いて、自分は見下ろされたままだ。
「高尾や、チームにも、同じ思いをさせていやしないかと。少し、思って」
 高尾が自分に弱いところを見せないのも、その証拠なのではないか。
 遠くを夢見るような目をして、後輩はぽつぽつとそう暴露する。
 ――しかし。
 宮地は苛立ちを隠しもしない顔で、冷たく言い放った。
「……そんで? らしくもなくあのバカに気なんて使って、そうやってくよくよしてんのかよ。きっめえ」
 百九十センチオーバーの見た目、常の王様気質を自覚しろと言うのだ。
「おまえと高尾の関係なんざオレは知らねーがな。なに人様振り回してまでずっと貫いてたもん疑ってんだ。パイナップル投げっぞ」
 緑間はゆるゆると顔をこちらに向けた。
 らしくないことをしようとしているな、と溜め息を吐いて、後ろ頭を掻いて、宮地は話を続ける。
 高尾、久藤が凡人であるというのなら、宮地だって凡人である。ちょっと努力ができて才能もあって、それでも煌びやかな天才たちには手が届かない、凡人。
「第一、オレだって高尾みてーに毎日吐いたことねえし、あそこまでねちねちイビられたこともねーし、トリプルスコアで負けたこともねーし、自分よりすごい奴の相棒自称したこともねぇわ」
 宮地が中学生だった頃は、キセキの世代はまだ覚醒前だった。そんな絶対的な猛威をふるう奴らなどいなかった。
「所詮他人の気持ちなんざ、他人である以上は全部わかってやれやしねーんだよ。歩いてきた道が違う、能力が違う、環境が違う。そしたらどうしたってズレてくるだろうが。けどな」
 だからこそ。
「おんなじように負けて、勝ってするチームの奴らが、大事になるんじゃねぇの」
 緑間を見る。目を見開いて、少し驚いたような顔。奴のそれは思いの外端正な作りだが、宮地は鼻で笑った。
 ――間抜け面。
「大体な、おまえと高尾じゃ正反対だろうが」
「……反対?」
「おまえは赤司に、負ける悔しさを思い知れって突っかかってたんだろうが」
 完全無欠を謳うおまえにも弱さはあるのだと。
 負ける自分と同じ思いを味わえと。
「高尾は――そうやって引っ張り下ろして並ばせようとするんじゃなく。自分が強くなって並ぼうとしてんだろ」
 だったら、逆だ。
 まるっきり正反対だ。
「高尾がこっちに下りてきて慣れ合ってくれなんて一回でもおまえに頼んだのかよ。あいつが見せようとしねぇんなら、おまえはそれは見なくていいっつーことなんだよ。おまえはそのままでいろ。別に悪いことじゃねーだろうが、ほとんど負けなし、出来ないことはないなんて」
 今更何を言っているのだこいつはという感じだ。夏前には「オレに全部ボールください」なんて涼しい顔で我儘ぶちまけていたくせに。
 綺麗ごとだっていいじゃないか。
 綺麗なままでだって、いいじゃないか。
 そのまっすぐな綺麗さに惹かれる人間も、確かにいるのだから。
「オレらからいきなりセンター奪っといて、ここまで来てムシのいいこと言い出すんじゃねぇよ。おまえはもううちのエースで、中心だろうが。ものすげえ癪だけどな、真ん中にブレられると、合わせてるこっちまで迷惑すんだよ。オレらも同情とかいらねぇ。そういう協調性なんざ願い下げだ」
 それこそが自分の意地でもある。三年間血の滲むような努力をしてきた、自分の誇りでもある。
 まあ、どうしても歩み寄りてえってんなら――と宮地は不機嫌な表情のまま言って、
「おまえだけは知っといてやればいんじゃね。そういう、あいつの泥臭い強さを」
 緑間は珍しく、呆気に取られたようだった。宮地もらしくないことをしたのも、クサい台詞を吐いたのもわかっているので、照れくさい交じりにフンと鼻を鳴らす。
 しかしやがて、緑間が言ったのは、
「――――宮地さん、でもあの、」
「んだよ」
「オレは大坪さんからセンターを奪った覚えはありません」
 大真面目に斜め上の反論だった。
 一瞬目が点になった。
 そういえばバスケでセンターと言われれば普通はそっちになることに思い至る。が。
「センターっつったらあーほらアレだ一番いいポジションってことだっつの! エーケービーとかのダンスポジションのセンター! 知らねぇのか!」
「そういう方面には疎いので」
「このバカ! 明日CD全部貸してやるから聞け! 聞かなきゃ切っからな!」
 はあ、と怪訝そうな相槌。
 はあはあと息を荒げるこちら。
 ――ほんっとにバカみたいだ。
 自分でそう思う。なんというかこの後輩の相手をすると、どうもちぐはぐで調子が狂う。
 いつの間にか、体育館の見える、最寄りトイレの前まで来ていた。
 見て、さっさと早足で横切ってドアを開ける。顔を突っ込んで声を張り上げる。
「高尾ー! いるかー!」
「宮地さんオレの話を聞いていましたか」
「おまえの事情なんざオレが知るかよ」
 個室の方から返事が聞こえてくる。
「……あー、宮地さん……います……」
「またんなとこでへたばってんのかよ、情けねー奴だな。クソ暑くて体力なくなったとか言うなよ」
「大丈夫っす……確かにトイレ暑いっすけど……」
「…………」
 それから宮地は緑間を一瞥して、
「……おまえもよお」
 ああ節介焼いてる自分と心底呆れる。
「くっついて下手に情移させんなら、バカみてーに強がって緑間困らせてんじゃねぇよ。相棒なんだろ、おまえ。しゃきっとしろ」
 たっぷり間を置いて、個室が情けない声で言った。
「……その通りっすね。すんません」
 そしてあーめんどくせえ、マジおまえらめんどくせえとぼやきながら、ドアを閉めた。がらがらぴしゃん。
 緑間と目が合う。物言いたげな目だったが、こいつの口から感謝も謝罪も聞きたくはない。
「……なんだよ。行くぞ」
 踵を返して、ずかずかと足を進める。
 緑間の気配が途中消え、がらがらというドアが再び開く音がしたが、振り向かなかった。自分には関係のないことだからだ。

 ――そしてその日の居残り練習前、体育館。
 大坪と木村が険しい顔で高尾を問い詰めていたのを見つけた。
 珍しいと思いながら、そちらに寄っていく。
「何やってんだおまえら」
「あー宮地か。いや、高尾と緑間がな」
「?」
 大坪の説明によると、「ウィンターカップで勝ち上がって行けば赤司と当たる、あいつは特殊能力を持っているから通常のプレイでは撃破が不可能、なので緑間と高尾が自分たちで考えた連携技で対応しようとしている」らしい。
「どこも神妙になる要素ねーじゃねーか」
 ボールを指先で弄びながら言う。だが木村の表情は晴れない。
「いや、その連携技ってのがな……」
 緑間がモーションして、高尾が構えた位置にドンピシャでパスを入れる、というもの。
「試合までに完成するかとかいう問題じゃなくな」
「……あー、おまえらが言いたいこと、なんとなくわかったわ」
「マジかよ。おまえ何気に頭いいよな」
「木村ァ、何気には余計だコラ」
 ならいい手間が省けたと、大坪は同級生二人の漫才をスルーして、高尾に向き直る。
「……おまえは、オレ達が言いたいことはわかったか?」
 高尾はいつものように、へらへらと陽気な笑顔で答える。
「いや、オレ宮地サンほど頭よくないんで、ぜーんぜんわかんないっす」
 嘘吐け、と宮地は内心思った。この口調は絶対にわかっている。それでも何とか逃げようとしている顔だ。一年おまえを見てきた先輩方をなめるなと言ってやりたくなる。
 きっとそのパスは、緑間の身長、リズム、手の位置を把握して撃つもの。緑間専用技だ。収得するのにかなりの時間を要する。高尾のフリーの練習時間は、ほぼそれに割かれることになるだろう。
「大学に出たらチームも別になる、高校でだって、緑間が毎試合出場するとは限らない。連携技なんてそんなもの、と言ってしまえば終わりだが、その技術は、緑間がいないと全てが無駄になるもんだぞ」
 赤司に本当に通用するかもわからない。今後の使い道があるかも不明。一種の賭けだ。それもリスキーすぎる。
「それでもやるのか、おまえらは」
 暗に考え直せ、と大坪は言っている。おまえたちは未来あるバスケットプレイヤーなのだ、今そんな無茶をしなくてもいい――それは木村も同感なのだろう。今聞いたばかりだが、宮地もそうだ。高尾にはまだ伸びしろがある。そんなことに、容量を割かなくたっていい。
 しかし高尾は、三人をぐるりと見回した後で、薄く笑った。
「……参ったなー、真ちゃんにも言われたんすよね。それ」
 らしくない、くしゃりと顔を丸めるような、困ったような笑みだった。
「ありがとうございます、心配してくれて」
 だけどやります。
 だってオレら。
「このチームが、……先輩方が、好きだから」
 くすぐったそうな声。
 くすぐったそうな笑顔、で。
「勝たせたいんす。どんなこと、してでも」
 後輩は誇らしげに答える。もう一人の相方の分も、胸を張るように。
 結局、大坪も木村も宮地も、それ以上は追及しなかった。
 しかし解散して、高尾が緑間の元に帰った後で、
「おい」
「……なんだよ」
「一年ばっかに良いとこ持ってかせんじゃねーぞ」
 バシンと宮地は木村の背中を叩いて、コートの方に走って行った。
 そして思う。
 ――あと二年したらすごい奴らになる、か。
 背番号七番の置き土産。
 確かに、今は技術も未熟で、歩幅も踏み出すタイミングもバラバラだ。どこかがうまく滑っていない、うまく噛み合っていない。その乱れがやっと揃い始めた程度。
 だけど、時間を掛けて、整うようになったら。
 もしかしたら、あいつの言った通りになるかもしれない。
 ――……ま、オレがそれを見ることはねーけど。
 一人ごちる。
 ふと、頭に、四月の光景が浮かんでくる。
 ―― 一年二組緑間真太郎、ポジションはシューティングガードです。
 ―― 一年二組高尾和成でっす! ポジションはポイントガードっす!
 四月に自己紹介をされたときには、こんなに関わることになるなんて思わなかったし、こんなに手が掛かるとも思っていなかった。「オレに全部ボールください」なんて試合で言われたときはこいつ本気で轢き殺してやろうかと頭に血を上らせたし、そのワンマンなプレイを許容しなくてはならないのも腹立たしかった。誰がこんな奴と仲良しこよしなどしてやるものかと憤っていた。
 それが、どうしたことか。
 ――先輩、あの、……スクリーンのやり方、オレに教えてください。
 ――宮地さん木村さん、真ちゃんがまた面白いことやらかしたんすよ聞いてくださいよー!
 あーうるせえうるせえ懐くなと。言えるほどに打ち解けて、自分も試合や練習でバシバシ遠慮なく背中を叩くような仲になっていた。
 コートを見回す。同級生、後輩たちの練習風景。ドリブルの音にスチール音、掛け声、バスケの音。
 長身と小さめの背。会話して、ころころと表情を変えて、そして離れていく。
 片方がパスをして、片方がそれを受け取って、シュートを放つ。
 高いループを描いて、それは、寸分違わずゴールに落ちる。
 最上級生の自分は、一年しかあのデコボココンビとは一緒にプレイできない。予め決まっていたことだ。あいつらときたら面倒くさいし見ていて危なっかしくてしょうがないし、ぶっちゃけいつか喧嘩しそうだ。自分たちが見ていてやらないと無茶もやらかしそう。
 だけど、……やっぱり宮地も想像してしまう。
 このバカな後輩共が、胸を張って猛威を揮う未来を。
 まだ粗削りだが、きっといつか一番輝くときがやってくる。そんな未来しか思い描けない。
 このチームはまだまだ強くなれる。
 ――だが今だって、このチームは強い。
 犠牲を払うこともある。誰かが泣くこともある、くさってしまうこともある、沈んでいくものもある。
 それでも綺麗なものは綺麗なまま輝いて、平凡なものはそれに負けじと、光ろうとしている。
 まるで手を取り合うように。
 ――なら、いいんじゃねーの。
 昔はさんざ怒鳴ったものだが、しょうがない、許してやろう。こちらの方がだいぶ大人だし。
 薄く笑って、駆け出していく。

 翌日、昼休み。
「監督!」
 見慣れた後ろ姿が見えたので、足を止めて呼び止めた。
 スーツ姿の監督はすぐにこちらを振り向いた。
「やっぱあオレ、冬までバスケ辞めません」
 強いか、信じられるか、価値があるか。
 そんなものとっくに知っていた。
「……不覚にも勝たせてやりたいとか、最後まで面倒見てやろうとか思っちまってるし。オレらなら優勝狙えるくらい、強いと思ってんで!」
 すると監督は、ちょっと驚いたように目を見開いた。
 そしてやがて、ふっと笑って、小さく手を上げて、歩き去ってしまった。



「足手まとい……? 何を言っているのだよ?」

 後輩はきちんと自分にボールを渡してきた。それを取って、ドリブルしながら走る。
 ――そうだ、わかってんじゃねーか。言ってやれ。
 後輩の声は遠ざかってだんだん聞き取れなくなっていくが、自分の仕事はあいつの話を一から十まで聞いてやることではないのでしょうがない。
 だむ、だむ、とボールの付く音。
 手に持って、膝を曲げ、伸びあがって、宙へ飛ぶ。
 もしかしたら負けるかもしれない、正直自分たちが抜けた後を考えると少し不安も残る、だけれど、
 それさえわかっていれば、おまえらは、
 きっとずっと、大丈夫だ。

「このチームで足手まといなど、オレは知らない」

 引っ掴んでボールを強引に叩き込んでやる。
 リングの揺れる、と音がしたと同時に、歓声が沸き起こった。


「おう」
「ナイスパス」



/ゴールテープから、粗雑なエールを込めて。