※言峰が言峰人格のアンリマユとご本人で二重人格みたいになってる
※捏造がひどいかつ若干痛い描写あり
※黄金律を本来の意味で使用しています



 ――かち、かち、かち、かち。

 時計の秒針が一目盛りずつ進む。一定調子で時を刻む。朝を夜に。夜を朝に。かち、かち、かち、かち。その音は静かな部屋によく響く。人々はまだ眠りについている。全てを覆い隠す、深い深い闇色をした、帳の中で。安穏と。

 ――かち、かち、かち、かち。

 不意に、ベッドの中の体が身動ぎした。衣擦れと共に、やや背の高い方の男が上体を起こす。肩まで被っていた布が静かに腹の辺りまで滑り落ちた。その下は裸だった。逞しい四肢には肉が裂け、治って歪に盛り上がった痕が無数に付いており、見る者に彼の人生の壮絶さをありありと伝えてくる。
 まあ、それが大衆の目に触れることは、基本的にありはしないのだが。彼の背負っているものも、傷も、知っているのはほんの一握りの人間だけだ。

 ――かち、かち、かち、かち。

 彼は小さくかぶりを振って、寝台を共にしている青年をひたと見据える。
 すらりと細い体躯。白いシーツの上にはらはらと散らばる蜜色の細い髪。小さく上下する胸。瞳は堅く閉じられて、まるで錠の落とされた箱のようだ。当分は開きそうに無い。

 ――かち、かち、かち、かち。

 静かに。
 忍び寄る影のように。
 彼は青年に手を伸ばして。

「動くな下郎」

 ベッドに寝転んだままの彼に、短剣の切っ先を突きつけられた。

「なんだ。起きていたのか」
 平然と言い放つ男に青年は怪訝そうな顔を向け、忌々しさの滲み出た声を返す。
「あれだけの殺気を放たれたら飛び起きもするわ」
「殺気? 何のことかな」
「とぼけるな。――そもそもおまえ、綺礼ではないな?」
 まっすぐに伸びた白い腕。握られた剣の刃は鋭く、少し触れただけで人の肌などぷつりと切れてしまいそうだ。きっと彼の宝具だろう。紅い瞳は冷たい敵意を湛え、下手なことを言えば容赦なく刺すと告げている。顔立ちの整った彼が、無表情でそんなアクションを取ると妙に迫力があった。
 だがそんなものを向けられても、男は全く動じない。少し困ったような顔をするだけである。
「夜這いに失敗した強姦魔はこんな気分なのかもしれないな」
「実際その通りであろうが」
「好色ではないし同性相手に欲情などしない。おまえを犯そうという気は、悪いが微塵も起きないよギルガメッシュ」
「それより質問に答えろ」
 聞き分けの悪い子どもを相手にしているかのように、やれやれと肩を竦めて男は言う。
「私は紛れもなく『言峰綺礼』だよ」
「嘘を吐くな」
 瞬間、ぐいと剣が押し出された。
 頬がぷつりと切れる。肌に痛みと赤い線が走る。
 男はようやく参ったような笑みを消した。
「……確かに、これは本物からそっくりそのまま写し取った殻ではある。私が外に思いを伝えるには、誰かの人格――カタチが要るのだよ。液体は器に入れておかないと流れ出してしまうようにね。だから自分に一番近い彼のものを借りた」
 彼は静かに掌を左胸に当てる。その姿は祈りを捧げる巡礼者によく似ている。
 何か気付いたところがあったらしい。ギルガメッシュは目を見開いた。
「――おまえはあの泥の意志か」
「ご名答。さすが英雄王、聡いな」
 男が淡く微笑し賞賛するのを見ても、青年はますます眉を顰めるだけだ。しかしその、いかにもお世辞ですと言う胡散くさい言葉と笑顔は、確かにあの神父のものだった。
 そういえば、セイバーとの戦いで呑まれたときのアレと感じが似ている。ならばこの『言峰綺礼』だと主張するモノはきっと、嘘を吐いている気は無いのだろう。他人がそれを信じられるかはまた別というだけで。
 ――贋作とはまた違う、のか。
「これで少しは警戒を緩めてもらえただろうか」
 『この世全ての悪』は朗らかに言う。遠まわしに剣を下ろせと言われているのがわかったが、しかしギルガメッシュは手を休めない。ゆっくりと体を起こしながらも、短剣を綺礼の目前から離さなかった。ぱさりと掛け布団が滑り落ちて上半身が外気に晒されるが構う様子はない。
「なるほど、正体はわかった。綺礼はどうした?」
「ここに。『彼』の人格が眠ったから『私』が出てこれただけだ。聖杯に繋がっているとはいえ、願いを叶えてまだ微弱な魔力しか蓄えていない上、切れ端でしかない『私』はひどく弱い」
「ああ、道理で肉体は同じだと思ったわ」
 体に走る傷も短く刈り込んだ髪も節くれだった手の感じまで同じだ。似ているのではなく同一なのである。違いは一つだけ。目の前の綺礼には左腕と右の手の甲を彩っているはずの令呪が無い。やはり別の存在だからだろうか。
「それで、おまえは何をしに出てきた?」
 唇を冷淡に吊り上げて聞けば、男はそっと笑った。
「私は生まれ出たい。だから一刻も早く魔力を吸収し、聖杯戦争の準備を整えてサーヴァントを取り込み現界したい。意味はわかるな? アーチャー」
「我を吸収したい、ということか」
 正解、と満足げな返答。ギルガメッシュはフンと鼻を鳴らす。
 このバビロニアの王の魂は、普通の人間の数十万人分。通常のサーヴァントに比べても三倍ほどの規模がある。彼の秘めている力は絶大、取り込めば次の聖杯戦争の開催期間までのタイムラグはぐっと縮まるだろう。それはこの英雄王も、彼のマスター本人も望んでいることだ。
「私には令呪が無いから頼むことしか出来ないのでね」
 古傷だらけの腕を広げ、聖杯の意志は穏やかに語る。
 しかし。青年はそれを鼻で嗤った。
「断る。折角受肉し現世に留まることになったのだ、こんな好機をみすみす逃がしてたまるか」
 聖杯に取り込まれるということは、彼の存在は消えるということだ。それでは敗退したのと代わりない、意味がない。ギルガメッシュにも目的があるし、第一我の強いこの英霊がそんな頼みを聞くわけがない。
「加えて」
 英雄王は剣を掲げていない方の手を自分の胸に当てる。恭しく。すると少しだけ表情が和らぎ、やや恍惚とした顔になる。
「我のこの血は、肉は、魂は全て――現在はマスターである言峰綺礼の所有物。他の輩においそれとくれてやるわけにはいかぬ」
 サーヴァントとは元を正せば使い魔。絶対命令権である令呪を有している者こそが主であり、僕は当然主人に服従しなければならない。生前が王でもだ。そういう契約を承知の上で英霊たちは現世への召喚に応えるのだから。
 そんなきっぱりした拒否を聞いても、綺礼は薄く笑っていた。苦笑なのか納得なのかは微妙なところだ。
「――都合の良いときだけ従者のフリか。全くおまえらしい」
「だが理には適っているだろう」
 ギルガメッシュは意気揚々としていて、綺礼の笑みに苦みが増える。
「だからこそタチが悪いのだよ。……仕方ない、今日は諦めよう。無理に進めては殺されかねないからな。それは困る」
 はあと一つ溜め息を吐いて、頭が振られる。やっと諦めたかとギルガメッシュは思ったが、再度上げられた瞳はまだ光を失っていなかった。
「しかしおまえが言峰綺礼の従者だと言うのなら、マスターを簡単に見捨てるわけにはいかないだろう? 彼の生命力は私からの魔力で賄われている筈だ」
 途端、紅い視線が細まり、凍る。
「何が言いたい」
「おまえの魂の代わりのものが欲しい、というだけだよ。少しでいい」
 その言葉の意図を、ギルガメッシュはすぐに察した。陰鬱な表情になる。しかしそれと対称的に、綺礼はひどく嬉しそうにしている。そういえばあの男の歪な趣味もこれには反映されているのか。鬱陶しいことだ。
「……あやつが起きたらたっぷりツケを払わせてやる……」
 ぼやいて、青年は短剣の標的をようやく綺礼から外した。
 代わりに向けたのは、自分へ。刃先をその細い、すべらかな手首に翳して。躊躇いなく振り下ろす。
 ひゅ、と風斬り音が鳴った。
 刃は肌と肉を鋭く、薄く裂き、通っていた真っ赤な血を外に溢れさせる。
「ほら、これで良いのだろう」
 ギルガメッシュが短剣を仕舞い、血まみれの腕を差し出すと、綺礼は無言で自分の手を添えて口元に持っていった。唇が傷口に押し当てられる。骨のラインを伝って手首を一周し、シーツに落ちそうになる血液を舌で受け止める。
 鉄の味と仄かな熱を嚥下する。すると金色の魔力のひとかけらが、器の中にぽとりと注がれる。
 サーヴァントの体液には魔力が籠もっており、その効力は体内を離れた後もしばらく続く。つまりこれは食事と相違ない。本来ならサーヴァントがマスターの魔力を喰らう立場なのに、見た目だけ今は逆だった。
 白い肌を桃色の平たい肉が這う。鈍い痛みと舌の感触が混ざり合い、じわりと甘い震えを走らせる。吸血は性行為のメタファーとしても使われるのだっけか。確かにこれは愛撫とそう代わりない。
 いや、少し違うか。この触れ方は、彼の姿は。
「……乳飲み子のようだな」
 思ったままの感想を言えば、苦笑いが返ってきた。
「あながち間違ってはいないな。まだ生まれ出ていないが」
「ふん。まあしかし、悪くない眺めだ」
 そんなに一心不乱にがっついて。そこまで求められることは珍しいし、奉仕されているみたいで気分がいい。
 左足を立て、そこに頬杖を突いて、ギルガメッシュは神父の容態をじっと観察している。
 時折唇に力が入り、吸われる度にちう、と小さな音が鳴る。伏せられた目に宿る光は冷静なのに、彼は少しも逃がさないとばかりに丹念に体液を舐るのだ。時折吐息が当たって湿っぽく肌を温める。
 身動ぎしても無骨な指に固定されて逃げられない。
 時間が経ったせいか出血が止まったと思ったら、攻め立てるように傷口に歯を立てられた。
「……っ、おい、それくらいにしておけよ――キリがない」
 強い痛みに静止が飛び出る。しかし綺礼は聞こえなかったように澄ましたまま、再び魔力の漏れ出したギルガメッシュの腕をしゃぶり続ける。ぴちゃぴちゃと唾液の音が高く鳴っているのはわざとだろうか。肌との境から見え隠れする舌と唇がいやに赤い。
 覗いた内部の表面を柔らかい粘膜で嬲られる、その感覚と。飲み下す表情に。
「ん……」
 ギルガメッシュが小さく息を吐くと、不意に綺礼と目が合った。
 黒の。中身を映さない、虚ろで伽藍な瞳が。ほんの少しだけ欲に濡れ、反射するように輝いている。
 べろり、と最後に一度、舌を突き出して腕を拭った後、思いきり手を引き寄せた。
 細身の体躯が傾ぐ。落下地点。迫ってくる顔に顔を近付けて――

 ベッドに突かれた掌を支点に。寸でで止まった。

「貴様などまだ用があるから殺さずにおいてやっているだけだ。泥風情があまり調子に乗るな。さっさとその体から去れ、もう腹は充分膨れたはずであろう」
「…………」
 放たれた声は楽しげだが、ぎらりと輝く瞳は剣呑な光を孕んでいる。不興を買ったか。この分では撤退か死以外の選択肢はなさそうだ。
 綺礼は物憂げに、諦めたように溜め息を吐いた。
「腹は膨れたはず? そんなわけがないだろうアーチャー。まだまだ足りない。聖杯はあと十年は満ちないだろう。私は枷のせいでゆっくりとしか食事を摂ることができない。ここに極上の馳走があるというのにな。その黄金律の血肉、魂、口にすればさぞ美味であるだろうに」
 最後、名残惜しそうに血の付いた手の甲に口付ける。
「『英雄王』ギルガメッシュ。あなたはとても美味しそうだ」
 離して、ふっと笑って。糸が切れたように、体が崩れ落ちる。
 小さな音をたててベッドに着地。ギルガメッシュが覗き込むと、器は電源を落とされたロボットのように目を閉じ、薄く唇を開いて安らかな寝息をたてていた。
「……やれやれ」
ただでさえ疲れているのに。青年は嘆息し、緩慢な動作で寝台に潜り込む。
 手は未だ血で真っ赤に汚れていた。しかしよく見ると痛みはすっかり失せており、肌は何事もなかったかのように、白く滑らかなままだった。



「ということが十年前から度々あってな」
 思い出したようにそう語る青年を前に、言峰は内心絶句していた。何故それを最初あったときに言わない――強く思ったが、この男にそんな気の利いたことを期待するのは筋違いというものだ。自分と同じ人格だとは言っていたが、己の体で何かとんでもないことをさせられていないことを祈るばかりである。
「最後に来たのは二年前だったか、いやはや懐かしい」
 ソファに収まって優雅に足を組み、ギルガメッシュは愉快そうに笑ってみせる。
「……しかしおまえがよく許したな」
「マスターを人質に取られては仕方あるまい? 健気にも我はおまえのために身を裂き、あんな異形に血を啜らせているというのに、随分な言い草だな」
 言峰は眉間に皺を寄せる。
 ――健気? これが?
 むしろ正反対ではないだろうか。
「気を抜けばすぐ我を喰らおうとちょっかいを掛けてくるのだ。この体は美味そうだと言ってな。困った奴よ」
 困ったと言うわりには機嫌が良いと思いながら、その体を頭から爪先まで眺め回す。
 人間には美しいと感じるカタチがある。均整の取れた状態というべきか。人間はそれを作り上げるべく、物の角度や形、長さ、比率といったものを緻密に計算し一つの作品を作り上げる。彫像だったり、絵画だったり。数学的な美を各々のキャンバスに描き出そうとする。
 「黄金律」のスキルを保有しているギルガメッシュは、まさに体でそれを表現している。頭から爪先の長さとへそから爪先の長さの比率。肩周りの長さとウエストとのバランス。顔のパーツの造形から設置の場所まで。まさに造ったような、至高の美しさを纏うように彼はできている。
 らしい。
 嗜好が普通と正反対である言峰には、その概念がよくわからない。そんな神が造ったレベルの絶世の美青年ならカリスマスキルが高いのも頷けるな、と思う程度で、ギルガメッシュは美しいの「だろう」というかなり胡乱な認識しかできない。故に言峰は彼の体には興味がない。この破綻者の肌に美しいものは馴染まないのだ。例えそれが魔力を大量に含んだ体であっても。
「しかし――おまえが美味しそうだという感想は、わからなくもないな」
 言峰は少し考えを巡らせながら、そう呟いた。
 興が乗ったようにギルガメッシュが身を乗り出す。
「ほう。その心は?」
「私はおまえの嘆きを未だ味わってはいない。私からすれば、英雄王の苦痛など至高の美酒に等しい価値がある」
 人が見せる負の感情を悦とする男。語る声は熱っぽく、細められたその目は嬉々とした光を孕みだす。
「幼年体から青年体に移行する間や、おまえの友人。片鱗を夢で覗けても、私の目の前に居るおまえはおくびにも出さないからな。だがそんなことをされては、余計にうまそうに見えてしまう」
 食べたい。その嘆きを味わいたい。
 だがそれはできない相談だ。
 人には絶対に知られたくないこと、踏み込んではいけない領域が一つや二つあるものだ。それを切開するのが言峰には楽しいのだが、ギルガメッシュ相手だと刃が届く前に彼の宝具に串刺しにされていることだろう。それがわかっているから、言峰は決して手を出さない。
 ――それでも、夢で見るワンシーンはいつも鮮烈だ。
 朋友を失った彼が悲しむ姿を見るたびに、幻想の中で高揚する自分が居る。現実の横柄な彼と対比すると尚更昂ぶった。しかしそれは映画の中に入り込んだような感覚で、手を伸ばしても掴めなどしない。匂いもない。甘美な物語は唐突に切れてしまう。そして起きては思う。ああ、また食べられなかった、と。
 楽しげに、二つの喉が不協和音を奏でる。
「全く、油断も隙もないのはおまえも同じか。……いや、アレはおまえだものな。当然か。はあ、我はつくづくとんでもないマスターを選んでしまったようだ」
「だがそれくらいでないと、おまえはつまらないと言うのだろう?」
 ギルガメッシュは否定しない。口元を押さえ声を挙げて愉快そうにしている。なんとも物好きなことである。
「すっかり自らの本質に身を任せるようになってしまったな。雑種だけは飽き足らずこの王すらも求めるか。随分と強欲になったものだ」
 一くさり笑った後で、ギルガメッシュはひたと相方を見据える。確かにそうかもしれないな、と内心自嘲していた男は、視線に射止められて顔色を変える。
 彼は白い歯を見せ、にんまりと破願していた。
 壮絶な笑みだった。まるでこちらを喰らおうとする気高い猛獣のような。
「……だが良い、許そう。人の業は愛でる性分だ。喰わせてやるかと言ったら話は別だがな、その欲求は大層身に快い」
 囁くような声は鼓膜を揺らし、身の内に入り、背筋をぞくぞくと震わせる。
 彼が鋭ければ鋭いほど。牙を剥けば剥くほど。夢とのギャップを感じ、彼を突き崩す難解さを思い知り、その隠れた傷を抉ってやったらどれだけ好いだろうという妄想が頭を過ぎるのだ。
 ぎしり、とソファが軋む。ギルガメッシュが立ち上がる。黒いズボンを纏った足を優雅に動かし、靴底の音を響かせて、こちらに歩いてくる。
 両の頬に手が掛けられたかと思うと、紅い双眸とかち合った。
「物欲しそうな目をして……そんな顔をされると、ついうっかり与えてやりたくなるではないか」
 愛おしげな声色と柔らかな視線が向けられる。しかし言峰は苦笑するばかりだ。
「だがくれはしないのだろう?」
「ふふふ。片方は目の届くところに置いておいてやる。いつでも好きに奪って構わんぞ」
「まあ、それだけでも譲歩してもらっている、ということはわかるのだがね」
「おまえはなかなかに面白いからな。特別待遇だ。光栄に思えよ」
 くつくつと喉を鳴らす。その鼻先に、不意討ちのように噛みついた。やわく歯を立ててすぐ離れる。
 ギルガメッシュはとぼけたように目をぱちくりさせていた。そんな顔が言峰には妙に間抜けに見えて可笑しかった。



 その会話はもしかしたら伏線というか、虫の知らせだったのかもしれない。
 第五次聖杯戦争が始まり、進み、マキリの聖杯が人々を襲い始めた。ライダーのマスターである間桐桜と繋がった『この世全ての悪』の暴走である。
 ギルガメッシュはその影に取り込まれ、現在腹にいる。けろりとした、つまらなそうな顔で真っ暗な空間を眺めている。だが手には触手が巻きつき動けない。下半身など完全に後ろの壁に埋まってしまっている。
 数分前まで抵抗していたが、あんまり固いので一時休憩中だ。うぞうぞと蠢くのが不快で仕方がない。無礼な。これくらいの拘束絶対に抜け出してやる。青年の頭はそんな気概と意気込みでいっぱいである。
 しかし。
 その瞬間、精悍な顔つきの男が目の前に現れ、さすがのギルガメッシュも思わず目を見張った。
 短髪。カソックと首に掛けたロザリオ。今より逞しい鍛えられた体躯、少しだけ小さな背丈。
「久しぶりだな。英雄王」
 言峰綺礼――いや、十年前の彼の姿を借りた『この世全ての悪』は、穏やかに笑って親しげに声を掛けてきた。
「相変わらずそうで何よりだ」
「……そうだな。その姿はとても懐かしい」
 ギルガメッシュは呟く。それを聞いて、聖杯の意志はますます笑みを深める。
 途端、影の壁がぞろりと動く。まるで異物をどうにかしようとするように。
「もう腹は膨れただろうから、会うことはないと思っていたぞ」
 『この世全ての悪』は否定するようにかぶりを振った。
「いや、まだ少し足りないさ。サーヴァントが揃っていないからな」
「貴様も相変わらず、随分と大食漢だな。言峰はそんなに物を食う輩ではなかったぞ」
「だが人の嘆きは沢山喰らうだろう」
「ははは、それは違いない」
 ――かつり、と。
 一歩、綺礼は進み出る。そのまま連続して歩み、黄金のサーヴァントの元へ向かう。
「しかし流石、というべきか。この中は人類全てを殺せるほどの呪いで渦巻いているというのに。世界全てを担おうという英雄王には、この怨嗟も虫の鳴き声ほどにしか聞こえないか?」
「然り。先ほどからやかましくて仕方がないわ、我の肌が食われたら貴様のせいだぞ」
「ああ。そのときは責任を持って私が患部を掻こうじゃないか」
「フン、こんな中にいたところでほんの少し赤く痒くなるだけだ。全身が染まるには弱すぎるな」
 ギルガメッシュは口元を歪める。さながら退屈を持て余す、気位高く我儘な女帝のようだ。気だるげな伏目が、匂い立つような妖艶さを彼に羽織らせる。
 やはりその姿には、纏わりつく糸のような拘束がよく似合いだ。どうしようもなく虚勢に、惨めに見える。
 また影がもぞもぞと動いた。
「そのせいで持て余したらしいな。我が母体はおまえを消化することに決定したよ。……だから私はこうして、おまえに最後会いに来たのだ」
 魔力を貰っていたからな、と恭しく彼は言う。別に恩情など感じていないくせにと、青年は世辞を鼻を鳴らして流す。
「実のところな――もうじきおまえが食べられるのかと思うと、心が沸き立って仕方がないのだ。一度は出してしまったが、きっと今度はそうはいかない。十年待った馳走だ、せめて残さぬよう味わって戴くとしよう」
 歌うような、弾んだ声。
「『彼』もどうやら喜んでいるようだぞ? ようやくおまえの歪んだ顔が見れそうだとね。自分の興奮と『彼』の興奮が混ざりあって正直はちきれそうなのだよ。今すぐにでもその体をどろどろに溶かしてやりたい。だから――私たちの糧となってくれ。ギルガメッシュ」
 告げる綺礼は笑っていた。それはそれは楽しそうに、新しい玩具を目の前にした子どものように笑っていた。ただただ喜悦に目の色を輝かせている。その容貌は無邪気であるのにおぞましい。
 何もわからず、その掌で小さなものを潰してしまう赤子によく似ている。
 捕食された哀れな青年は――しかし。
「……ふ」
 唇を三日月の形に吊り上げ。やがて大きく口を開け。
「ふ……は、あっ、はははははははは!」
 狂人のように哄笑した。
「好い好い、実に愉快だ! 十年前のおまえは欲を抑え込み、それは悪徳だと喚いていた。それが今はどうだ? おまえを導いてやった我にさえも手を伸ばして! 糧となれときたか! 実に成長したな言峰、手が自由であるなら頭を撫でて褒めてやるところだ! 褒美だ好きに喰らえ。我が肉を引き裂き骨の髄までしゃぶり尽くすがいい!」
 腹は捩れ、目尻からは涙が零れ落ちる。金色の髪が振り乱れる。吐き出される息は長い爆笑のせいでやや苦しげなものに変わりつつあった。
 綺礼は何も言わない。少し驚いたように目を見開いて、笑う英霊の姿を眺めているだけだ。
 声が響き渡る。耳障りだとでも言わんばかりに、影の腹が身動ぎする。『この世全ての悪』は一度この青年に負けているのだ。もしかしたら怖いのかもしれなかった。
 しかしやがてその高笑いはぷつりと途絶え。
 英雄王ギルガメッシュは。

「ただし後の保障はせぬぞ。また腹を食い破ってやるから覚悟しろ」

 凛とした口調でそう言って。
 べろりと、赤い舌を綺礼に向かって突き出した。

「……っ」
 震える。これ以上はないと思っていた高揚が言峰綺礼を襲う。
 この金色をした人はまだ折れないのだ。絶体絶命の状況で、まだ自分を打倒する気でいる。
 素晴らしい。そうでないと。長らく手に入れられなかったものなのだ、あっさり終わられては興ざめもいいところだ。さすが英雄王あなたは最高だと思わず拍手してしまいそうになった。
 この業すらも。悪食すらも好しと笑い飛ばす彼。失ってしまう残念さより、一体どんな奇天烈な思考回路をしているのか、その味が気になるという意識の方が勝っていた。
 その肉を食い千切って噛み砕いて嚥下して自分の腹に収めたい。肉も魂も自分の養分として消化したい。そうすれば自分は生誕に大きく近づける。
 彼を食べてやりたい、という強い願望。十年間はぐらかされてきたもの。――ようやく、叶った。
 身動きの取れぬ彼に近付く。壁が一段と活発にうねる。まるで綺礼の興奮を表現するかのように。
 後頭部を引き寄せて乱暴に唇を近付けた、まさにその一瞬前。

「……ふふ。おまえのその悦を前にした顔が、やはり我は一番好きらしい」

 そんな小さな声が、耳に届いた。



 グラスは一つ。とっておきだった葡萄酒のボトルを開け、静かに注ぎ入れて透明な硝子を満たす。
 部屋には一人。凪いだ部屋で祈りを捧げる。
「主、願わくは我らを祝し、また主の御惠によりて我らの食せんとするこの賜物を祝したまえ。我らの主によりて願い奉る。Amen」
 ワインは静かにテーブルの上、器の中でたゆたっている。
 言峰にはもう一人の自分と取り込まれた青年の応酬が、一から十まで全て見えていた。だが令呪を使って邪魔をする気はない。それを見ているだけで満足しているのだ。
 心残りはただ一つ。「私もその場に居合わせたかったな」と、それだけ。
 ああ、見える。胃袋に入った食物のように徐々に分解され、ただの魔力として溶かされていくギルガメッシュの姿が。しかし彼はまだ楽しそうに笑っている。大したゲテモノだと思う。
 もうすぐ彼は完全に分解され、『この世全ての悪』の栄養に、一部に成り下がるのだろう。そうしたら『この世全ての悪』から魔力供給を受けている自分の中にも、あの金色のサーヴァントの魔力が入ることになるのだろうか。
 ならばそのとき何て言ってやろう。「おやおや随分と小さくなってしまったな。頭を撫でてくれるのではないのか」とでもおどけてみせるか。考えただけで楽しくなってきた。胸が妙に弾む。
「すまないなギルガメッシュ」
 小さく呟いた。一応胸に懐いた台詞だった。

「だが美味しそうなおまえも悪いのだよ」

 にやりと笑んだ。酒を一気に喉に流し込む。その酒は心なしか、いつもより芳醇で味わい深かった。
 きっと肴が良いせいだろう。

 ――うん、やっぱり彼は絶品だった。



/人生食うか食われるかだけどどうせならうまいもん食べたい
 タイトルふざけすぎた。