「たのもう!」
 どこで覚えたのか、そんな挨拶と共に教会のドアを開けた青年を、神父は訝しげな目で出迎えた。
「……ここは教会だぞ」
「何をぬかすか綺礼。それくらい承知している」
 ファー付きの白いコートを細躯に纏い、ギルガメッシュは颯爽と中へ入ってくる。彼はきちんとドアを閉めない。乱暴に戻された扉が勢い余って行ったり来たりを続けているが、本人は気にする様子もない。
 礼拝堂に満ちる空気は、常の神聖さと季節柄の冷気とが混じり、どこまでも澄みきっている。人が居づらいまでの清らかさは、確かに神のおわす館だ。しかしギルガメッシュが混入してしまえば、それらは瞬く間に華美に染め上げられてしまう。純水にワインでも注いだかのような。この男のオーラは聖なる気をも侵食できてしてしまうらしい。教会が再び薄暗さを取り戻したのは、しばらくしてからだった。
「で、綺礼よ」
 青年はニヤニヤと実に楽しそうな笑みを浮かべ、こちらに近付いてくる。
 告白された子分をからかいにいくガキ大将を綺礼は連想した。
「何故今日はそんなに機嫌が悪い」
 綺礼とギルガメッシュはパスで繋がっている。少々の感情なら察することが可能だ。綺礼が海外へ仕事に出かけているため、普段パスは切っているのだが、帰ってきているからと繋いでみれば神父はいつになく陰欝そうだった。
「…………」
 綺礼は答えない。
 手にしていた分厚い聖書を祭壇に置き、腕を組んで、視線を空にさ迷わせる。
 サプライズを前にした子供のような、ギルガメッシュの視線が突き刺さる。
「……今日は」
 やがてぼそぼそと、低い声が唇から漏れる。
「誕生日だ。……私の」
「ほう」
 ギルガメッシュは目を丸くし、綺礼は大きな溜め息を吐く。
「父上のせいだろうな。出歩けば毎年あちこちで祝福される」
 父――言峰璃正はなかなか子が授からず、綺礼が生まれたのは彼が五十を過ぎてからだった。璃正にとって綺礼は待望の子。可愛さ嬉しさのあまり信者に触れまわってしまっても仕方のないことだ。さらに綺礼は冬木では「優しく真面目な神父」で通っている。
「しかしおまえは素直に喜べぬと」
「まあ、そういうことだ」
 理由は二つ。今日生まれ、人々に祝福されているのは、自分という悪しき魂であること。もう一つは、そもそもその祝福を喜べる心が自分にはないこと。 思えば物心ついたときからそうだった。父から、人々から「おめでとう」という言葉と笑顔を向けられても、自分にはそれを受け取る価値があるのかと思ってしまっていた。贈られた温もりすらも、自分の心には響かなかったのだ。
 口に出す度意味を失い空虚になっていく「ありがとう」を、自分はどんな顔で発していたのだろう。必死で取り繕った仮面であると、誰か気付いた者はいなかったのだろうか。
 本当に自分はここに生まれてよかったのか? 考えど答えは出ない。年に一度の忌まわしき行事を、数十回終えた今でも。
 言峰綺礼は自嘲する。やはり自分は破綻している、と。自分の故障をまざまざと感じさせられるのはこういうときだ。
 ギルガメッシュは足音を響かせ、眩い金色の髪を靡かせながら、礼拝堂を突っ切る。
「なるほどな――祝辞など素直に受け取っておけばよいではないか」
「気持ちはありがたいさ。だが喜べぬものを貰っても、居心地が悪いだけだよ」
 苦笑いして礼を言う。それくらいしか返せない。
 ――かつ、かつ、かつ。
 反響する足音は、祭壇の前に立つ神父の直前で止まった。
 白い腕がするり、と伸びて、カソックを巻き込み首に纏わりつく。
 前髪が触れるほど顔が近付き、紅い瞳が昏い瞳を覗きこんだ。
「生誕おめでとう。綺礼」
 作ったような厳かな声で、魔性は言った。
 一拍置いて声が弾ける。
「ははは、そう嫌そうな顔をするなよ」
「……おまえのような者に祝われても複雑な気分にしかならん」
 顔をしかめる綺礼を見、目をおかしそうに細めた後、ギルガメッシュは手を伸ばして、前の唇を奪った。
 自分の熱を押し当てるような口づけを。
 しかし僅かな間で離れる。
「おまえを知った上で我が贈るものだ」
 ギルガメッシュの口調は悪戯っぽかった。しかし整った面立ちに浮かぶ表情はいつになく穏やかで、降り積もる雪のように淡く、美しい。
「雑種どもの祝いよりうんと価値があるであろう? 嬉しいとはいかないまでも光栄に思えよ」
「――――」
 ああそうか、と綺礼は思う。
 仮面の下を知り、それが人でなく怪物であると知りながら、温もりを押し付けてくる存在が。壊れた自分でも生まれてきてよかったと告げる人が。今は傍に一人だけいる。
 そして彼は笑っている。これなら受け取れるだろう、と。
 唇に僅かに残る熱が、証明とばかりに燻っている。この寒さにすぐ掻き消されてしまいそうに小さい。
「――足りない」
「ん?」
「もう少し、欲しい」
 そう言って黒い影は白の背中を掻き抱き、肩に顔を埋めた。甘えるような、むずがるような仕草だった。僅かに彼の匂いがする。
 たゆたう紅があやすように笑う。
「珍しいな。おまえがそんなことを言いだすとは」
「いけないか?」
「許す。――今日ばかりはな」
 顔の前にきた首筋に軽いキスを落とせば、綺礼は僅かを置いて、そっと体を放した。
 ギルガメッシュが掌で頬を包み込む。額と額をくっつけて、そのままつい、と唇を寄せる。
「――――、」
 声にならないような、小さな小さな言葉。
 しかし擦りきれていない、意味のある台詞を。
 綺礼の唇が僅かに紡いだが、それはすぐ塞がれて――教会には静寂と、二つの影だけが、残された。



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 2011年言峰誕