入浴を済ませさてそろそろ休もうか、というところで、輝く金色の砂塵が私室のソファに現れた。
 それは長身の青年の姿を形作り、背もたれに肘をついた。目を細め、足を組んでこちらを見やり、気だるげなオーラを私室に漂わせる。
「暇だ。構え」
あまりに一方的な言い草に辟易した。
「……私は就寝するところなのだが」
「知ったことか。サーヴァントに眠りは要らぬのでな。夜は退屈なのだ」
「ならいつものように街へ遊びに行けばいい」
「この寒い夜に外なんぞ出られるか」
 ギルガメッシュは「そんなことくらい察せ」と言わんばかりに睨みつけてくる。だが綺礼としては、それこそ「知ったことではない」と返したくなる言い分だった。自分の都合で相手を動かさないでもらいたい。
 ――しかしサーヴァントでも寒さは感じるのか。
 綺礼は思う。
 まあ、実体化していれば現世の影響も受けるのだろう。
「こんな日は屋内で酒盛りに限ろうぞ。綺礼、酒を持て」
「だから私は寝ると言っているだろう。断る」
「……貴様は我が素直に安眠を与えると思うのか?」
 思わない。というより、彼に見張られているとなると落ち着いて寝られない。
 深く考えずとも、手詰まりだったのだ。少し足掻いてみた程度では何も変わらない、そう簡単に引き下がる相手ではない。彼がここに来た時点で、満足いくまで付き合わされることは確定していた。
 綺礼は深く溜め息を吐いた。
 にやにやと楽しげに笑うギルガメッシュを憎々しげに一瞥し、「少し待っていろ」とドアへ足を向ける。
「言っておくが私は呑まんぞ。別のものを用意してくる」
「ほう、別のものとは?」
「大したものではない。紅茶だよ」
 師である時臣から貰ったものがまだ残っている。
「それは興味深いな。我にもよこせ」
 と、ギルガメッシュが反応したのには少し驚いた。
 意外に思うと同時に、納得する。
「ああ――おまえの時代には茶がないのか」
「どういうものかは知っているがな。口にしたことはない」
 そういえば遠坂邸で見かけるときも、飲んでいるのはワインばかりな気がする。そして本来、英霊に食事は要らない。機会がなくても不思議ではない。
 了承の言葉も掛けず、綺礼は私室から廊下へ出た。
 言峰綺礼は大変に真面目な男である。
 父より習った八極拳は毎朝型を復習し、師より習った魔術は完璧に頭に叩き込み、自分のものにする。彼が見せるひたむきすぎる勤勉さは、この二つが己の空虚を埋める手段になりうるから――ということもあっただろうが、半分は彼の根の現れでもあるだろう。さらに彼は、手本に沿うのが一番確実で失敗しない方法であることも知っている。
 紅茶の淹れ方も例に漏れない。
紅茶というのは本格的に淹れようとすると、面倒な道のりが付きまとうものである。普通の人間なら短縮したり簡単な方法で終わらせようとしたがるものだが、綺礼は師に習った通りきっちりと手順を踏んだ。
就寝前ということと時臣の勧めを踏まえ、ミルクティーにすることにした。
やや濃い目に淹れた茶に温めた牛乳を注ぎ、カップを二つお盆に載せて、また部屋に戻る。
「遅いぞ綺礼」
 随分な挨拶に何か言いたくなるのを堪え、黙って盆を差し出した。
 白いティーカップ。白が濃い茶色の液体が、中で淡い湯気を立てている。
ふんぞり返った青年はカップを受け取り、吹いて冷ましてからくい、と煽った。
 自分も左手のソファに座ってカップを手に取る。一口飲むとほんのりと甘い温かいものが、体にすとんと落ちていった。
 別段大した衝撃を受けるほど美味とは思わない。前にも何度か飲んでいるものだ。だがこういうのも悪くないと思う。穏やかな後口の、気分が柔らかくなるもの。
「うまいか?」
「……まあまあだな」
 そう言いつつ順調に中身を減らしている辺り、この男は素直でない。
「そうか」
 小さく笑って、また啜った。
「しかし何故現世はこうも寒いのだ。遊戯を嗜む意欲も失せるわ」
「それは吉報だな。冬くらい大人しくしていろ」
「すると我の相手は貴様がすることになるが、それでも同じことが言えるか?」
「……何故そうなる」
「コレは素晴らしく美味とは言えんが、たまに口にしてもよいという程度には気に入った」
 今度はギルガメッシュが笑う番だった。
 しかし綺礼は彼の台詞でなく、自分も先ほど同じことを考えていたことに呆気に取られる。絶対に合わない、理解できないと思っていた彼の思考。だが今シンクロした。その事実にびっくりした。
自分が毒されてきたのか――こんな暴君でも穏やかさを好ましいと思うのか。
……お互いに似合わないな、と綺礼は自嘲する。自分たちはそう――悪巧みの算段でも練っている方が似合う。
「そうするとまた、これを用意する人間が必要になるであろう?」
「――遠坂邸の使い魔にでも頼め。手順さえ覚えれば誰でもできる」
「使い魔なんぞに我が腹に入れるものを用意させられるか」
 でもまあ、自分が、相手が悪くないと思えるなら。
似合わないなんて理由で変える必要などないだろう。
 紅茶をまた一口。
 ――やっぱり甘い。
「お!」
 いきなりのそんな一声で、綺礼は弾かれたように視線を上げた。
 ギルガメッシュは自分から少し離れた背後を凝視していた。
 振り向いてみると、カーテンを開けていた窓から、白いものがちらちらと覗いている。
「あれが雪か! 見に行くぞ!」
「おい!」
 あれだけ外出を渋っていたのが嘘のようだ。重かった腰をあっさり上げ、白い影が走って部屋の外へ出て行く。
「寒いぞ――」
 クローゼットからコートを二枚引っ張り出し、自分のを着込みながら、小走りで後を追う。
 司祭室を抜け、礼拝堂を曲がり、外へ。
 ギルガメッシュは教会のドアのすぐ傍にいた。
 歯をがちがち鳴らし、腕で自分の体を抱えて地団駄を踏んでいる。
「おい綺礼そのコートを我によこせ早く!」
「……言わんこっちゃない」
 自分の真っ黒なオーバーを手渡してやると、彼は急いでそれを着込み始めた。綺礼は騒がしさを他所にぼんやりと目を上げ、白くなる呼気を見ながら空を仰ぐ。
 外はとても静かだった。深い深い紺色の闇が街を覆っている。丘の上からは冬木が一望でき、街灯や店の照明がぽつりぽつりと、橙色の光となって地に浮かび上がっている。
 そこへ舞い降りる白い結晶。
 ちら、ほら、と揺れては、積もる。
 壮観だった。
 このまま建物も、土も、この教会も、全てが白で埋め尽くされてしまいそうだ。
 ぼんやりしているうちに隣は落ち着いた。
「うーさむ……」
 コートの前を掻き合わせ、ギルガメッシュはやっと顔を上げる。教会の屋根の元から手を出し、雪に触れて、掌に落ちたそれが溶けるのをじっと、見ている。
「……美しいな。我が庭を覆うことを許してやる」
 その呟きを聞いて綺礼は思わず吹き出した。
「おい、何がおかしい」
視線が突き刺さるが、押さえても口からはどんどん笑い声が漏れて止まらない。
「いや――おまえは天候にまで自分の支配を向けようとするのかと思ってな――」
「当然であろう! この世界の物は全て我のものだ」
「そうか――そうだったな――」
「貴様我を馬鹿にしておるのか!?」
 くくく、と腹を押さえ、体を折って笑い転げる綺礼。ギルガメッシュはじとー、とその姿を睨みつけていたが、
 我慢しきれなくなると綺礼の顎を思いきり鷲づかみし、固定して唇を強く押し付けた。
 もご、と変な音がして、夜が再び静寂を取り戻す。
 合わせ目から、白い息が溶けて消えた。
 雪は止まない。
 紅茶とは違う種類の、ほのかに触れる熱。
 白が僅かな明かりをもたらす視界の中で、濡れた紅い色が光っていた。
「……止まったか?」
「…………」
「さて、見物は済んだ。あれをもう一杯作れ。飲み直しだ」
 そして王は何事もなかったように教会に帰っていく。
 金髪と黒の後ろ姿。それを唖然とした様子で見送って、
「――らしくもない」
 自嘲の笑みを漏らしながら、神父はその姿を追うのだった。



/Beautiful woman,Welcome to my world.
 くっそ長いタイトルですが気に入っています