「ギルガメッシュ、明日は此処に来るな」
 顔を合わせるなりそんなことを言われ、ギルガメッシュは不服そうに顔を歪めた。
「我が居ては困ることでもあるのか?」
「その通りだ」
「女か」
「……そうではない」
「理由を申せ綺礼。この英雄王を無下にするのだ。納得させるだけの理由が無ければ、我は退かぬぞ」
「…………」
 目の前の神父の顔が段々曇っていく。ギルガメッシュはそれが愉快で仕方がない。口元が緩んでくる。綺礼は答えを言わない。しかし敢えて急かさず、無言で圧力を掛け続ける。
 だんまりを破ったのは綺礼の溜め息だった。
「――冬木教会で結婚式がある」
 ギルガメッシュは途端に険しい顔をした。
「つまらん。もっと心躍る用件を持ってくるかと思えば」
「ならば、私の頼みは聞き入れられるのだろうな?」
「誰がそこまで言った。ふん――婚姻の儀か。そろそろ我が現界していられる時も僅か。現世の宴を見物しておくのも悪くない」
 そう言って満足げに頷いてみせる。反対に綺礼は困ったように眉根を寄せていた。ギルガメッシュはそのことに気付いていたが、敢えて黙殺した。

 一般世間と聖杯戦争は関係がない、どころか向こうは知りもしないことだ。新都に「教会」として構えている冬木教会へそんな話が舞い込むのは、別段不思議なことではない。
 言峰綺礼が結婚式の開催について言いたがらなかったのは、ギルガメッシュが参加を申し出ることが容易に予想できたからだ。イベント事に目がなさそうな男である。さらに今は暇を持て余している状態だ。綺礼としては、厄介の塊のような男にはお引取り願いたかった。
 こんなことになるなら黙っておけばよかった。前々からの予約で今更断ることもできず、聖堂教会スタッフの指揮の片手間で、ただでさえ準備に忙しいのだ。ギルガメッシュが「来るかもしれない」から「確実に来る」に結果が変わってしまった。
……しかし急に来られるよりは、前もってわかっていた方が大分マシだ。綺礼ははっきりしたことだけは幸い、と結論を出し、後は考えないことにした。まさに後悔先に立たず。あの唯我独尊の王が何かしでかし、式を滅茶苦茶にしてしまわないことを祈るばかりである。
婚姻の式には別段興味も愛着もないが、神の御前での式は綻びなく、滞りなく。それが聖職者としては完璧である言峰綺礼の方針であった。

 翌日。金髪の青年は礼拝堂に陣取り、大人しく見物に勤しんでいるようだった。
 ようだ、というのは今のギルガメッシュは不可視で、綺礼にもその姿が見えていないためだ。綺礼が「式に参加するなら霊体化して大人しくしていること」という条件を付け、ギルガメッシュがそれを呑んだ。新婦側の席の一番後ろ、空いている長椅子の辺りに座っていることだけ、ぼんやりとわかる。
 礼拝堂は同じような格好をした人間でひしめいていた。しかし誰も言葉を発することはなく、白く荘厳な空気が満ち満ちている。普段は無い、床に敷いた赤い絨毯が新鮮で、綺礼にはなんだか眩しかった。
いつものようにきちんと背筋を伸ばし、胸には十字を下げて、綺礼は祭壇の前に立っている。――彼らを祝福する聖職者として。
新婦の入場から始まって、式は順調に進んでいく。
 聖書朗読。式辞。
 誓いの言葉。
「あなたは神の教えに従い、すこやかなときも、そうでないときも、死が二人を分かつまでこの人を愛し、敬い、なぐさめ、助け、かたく節操を守り、ともに生きることを誓いますか――?」
 新郎が誓う。新婦が誓う。
 自分の目の前に立つは、今日ここに結ばれる一組の男女。支え合い、愛し合い、これからもそうし続けるであろう二人。
 懐かしい。自分にもかつて、傍らにそんなひとがいた。
 ――結局自分には、支えることも愛することもできなかったが。
 内心苦笑する。先ほど読んだ聖書の一文が、脳裏に蘇ってきた。
 ――愛は決して絶えることがありません。か。
 ああ、正直に言ってしまえば自分は、ここにいる、ここに祝福すべき彼らが、羨ましくて仕方ない。
「では指輪の交換を」
 そう告げた瞬間、英霊が席を立ったのがわかった。
 綺礼は一瞬身構えたが、ギルガメッシュは姿を現すこともなく、開け放されたドアから静かに出て行ったようだ。内心胸を撫で下ろし、新郎新婦に指輪を渡す。
 指輪交換、誓いのキス、署名と、ここぞとばかりに焚かれるカメラのフラッシュが眩しい。
「列席者の皆様、ここに、主の御前において夫婦となったことを宣言致します」
 割れんばかりの拍手が沸き起こり、聖職者はようやく一息つくことができた。新郎新婦が退場すれば、とりあえず一段落である。
 白いドレスとタキシードが出入り口へ歩みを進める。拍手をしたまま、綺礼はそれを祭壇で見送る。
 と、そのとき。
 はらはらはら、と赤い花びらが、雨のように落ちていくのが見えた。
「――――?」
 教会の外には来賓が列を作っており、籠を持ってフラワーシャワーを作ろうと待機してはいる。しかしあれは誰かが撒いたにしては、落ち方や量がおかしいのではないか。
 来賓が全員出るのを見計らい、綺礼も出入り口に足を運ぶ。
 丘は込み合っている。囲まれる新郎と新婦、誰ともなく話し込む人々。もう誰も花を撒いたりしていない。しかし空からはやはり、絶え間なく花びらが降りしきっていた。甘い芳香が漂っている。赤色がひらひらと舞って、揺れて、落ちていく。
「すごーい!」
「この花どこから降ってるのー?」
 幼い子どもの声が耳に入る。
 綺礼は振り向き、教会の屋根に目をやった。
 そして見た。
 空に展開された『王の財宝』、そこから溢れる無数の赤い花と。腕と足を組み、ふんぞり返ってこちらを見下ろしている、金髪の華やかな美貌の青年の姿を。

 日が沈み、空が金色に、雲が橙を孕んだ紫色に染まる。
 式が終わり、すっかり人気が失せた礼拝堂は、一つの声さえ騒がしく聞こえた。
「我が手ぶらで儀に参加したとなっては、英雄王の名が泣くであろう? ちょっとした手土産よ」
 正面の席、自分の隣でふんぞり返り、ギルガメッシュは満足げな笑みを浮かべている。
「しかしあの花はどうした」
「我が手ずから買い求めた」
 ギルガメッシュの保有スキル、黄金律。要するに彼は金持ちなのだ。
 彼が撒いた花びらは教会を、丘を埋め尽くした。この礼拝堂を一歩出れば、くすんだ赤色がそこかしこに散らばっている状態である。
「なかなか洒落ていたであろう? いつの世も婚姻とは盛大に、華やかに盛り上げてやるものだからな」
「ああ、気が利いていた」
 フラワーシャワーには花の香りで辺りを清め、祝福される者たちを悪魔から守る、という意味がある。それを世界最古の王、最強と謳われるサーヴァントが行なったのだ。悪魔も尻尾を巻いて逃げ出すに違いない。もっとも本当に悪魔など現れたら、彼は自らの手で一も二もなく葬ってしまうだろう。
 ――掃除――はもう今日はしなくていいか。
 綺礼の憂鬱を他所に、ギルガメッシュは鼻高々だ。
「しかし神――神か」
 祭壇の後ろにある十字架を見、ぶつぶつと何か呟いている。
「綺礼」
 その呼ぶ声で顔を向けた瞬間、ぐい、と襟元を引っ張られた。
 体が傾く。金色が迫ってきて、目の前には紅い色。睫毛。揺れる光。当たる。
 ちゃり、と十字架が鳴った。
「……ち、目ざとい奴よ」
 悪態をつくギルガメッシュの声はくぐもっていた。
 間一髪、綺礼が掌を顔の前に突き出したため、接触はない。ギルガメッシュが口を塞がれた構図になっている。
「どういうつもりだ」
「我は三分の二が神である身でな。熱心な子羊が目の前で他の神と接吻なんぞ交わしていたら、おまえの仰ぐ主は嫉妬すると思わんか?」
「そんなことのために私を使うな」
 手を押し返せば、青年はすぐに体を離した。腕を組み、背もたれに自重を預け、また正面へ目をやる。
「――神は嫌いだ」
 感情があまり籠もっていない、今日は雨が降っていてつまらない、と言う風な口調で、ギルガメッシュはぽつりと呟く。綺礼が顔を覗きこむと、実に興味なさげな、眠そうな表情をしていた。そういう気だるげな目をしていると、彼はこの世のものとは思えないほど妖艶である。
「でもまあ、貴様がどうしてもここにいるというのなら、我が合わせてやってもよい」
「…………」
「腹が減った。晩餐だ綺礼」
 すく、と隣の影が立ち上がる。彼はそのまま礼拝堂の右手に足を向けた。その背中は普段と同じだ。軽やかで優美で、後ろからでも誰だかわかるもの。綺礼は黙って立ち上がり、後を付いていく。
 ドアを開け、司祭室へ。
 戸が閉まり、十字架が視界から消えた瞬間、綺礼は目の前で揺れる腕を、無造作に掴み取った。
「なんだ」
 ギルガメッシュが忌々しげにこちらを振り向く。
「あなたはすこやかなときも、そうでないときも、死が二人を分かつまでこの人を愛し、敬い、なぐさめ、助け、かたく節操を守り、ともに生きることを誓いますか?」
「――――」
 ギルガメッシュは一瞬呆気に取られていたようだが、やがて体を反転させた。いつもの不遜な笑みを造り、紅い瞳でまっすぐに綺礼を射抜く。
「綺礼、おまえは我の寵愛を欲するのか? 随分と思いきったものだな」
「そこは要らん。おまえには無理だろうから敬いも要らない。節操――は必要だな。何せ相手は自分のマスターを裏切ろうとするサーヴァントだ」
 男は薄く口元を吊り上げ、金髪の青年は愉快そうにくつくつと笑う。
「面白い。我が真名に賭けて誓ってやる」
 では誓いの口づけを。
 そう言った男の右腕には、無数の令呪が走っていた。

 一般世間と聖杯戦争は関係がない、どころか向こうは知りもしない。
 しかし聖杯戦争は続いている。七体のサーヴァントと七体のマスターで行われるバトルロイヤル。言峰綺礼とギルガメッシュはその渦中にいる。
 因縁も。思いも。願いも。密約も。
 全てが連なり事は進む。
 そして戦いは最終局面。

 青年の腕が神父の首に掛かる。衣擦れの音。頭を下に向け、男は静かな視線を青年に注ぐ。
 そこには誰の声もない。見ているモノも何もない。
 二つの影が一つに重なる。
「――――」
 侵入してきた舌を拒むことなく受け入れる。ざらりとした肉厚な感触に背筋が泡だった。温い。その熱を取り込むように自分のそれを絡ませた。ぐちゅり、と濡れた音がする。ぞくぞくするような官能に体の奥が燻る。
「――は、えらく積極的だな」
 熱を帯びた吐息と一緒に唇が離れた。
「この後は初夜か?」
「……英雄王のお望みとあらば」
 誘うように笑む目の前の人外に、神父はそっと苦笑を返した。

 かつて彼には寄り添った女がいた。
 かつて彼には唯一決めた友がいた。
 だが各々、その隣には誰もいない。空いた席に座る存在はない。彼らが生き続ける限り永久に、空っぽのままであり続けることだろう。
 しかし運命は巡り廻り。

 そして彼は彼を手に入れた。



/協定式