『祭りの後の祭り』

一.

【夕凪通】
【駄菓子屋しちくま】

 家の外はどんちゃん騒ぎの真っ最中だった。
「湊みなとー!」
 セーラー服の少女が足音高く居間に飛び込んでくる。
「騒がしいよみのりちゃん」
 湊は怪訝な顔でそちらを一瞥し、『少女地獄』と題打たれた本にすぐさま目を戻す。いつもの学生服を着込み、座布団を二つ折りにして寝そべっている姿は、だらしないとしか云いようがない。
「百鬼夜行もう始まってるよ!? 早くいこ!」
「やだよ人ごみ――妖怪ごみ嫌い」
「たこ焼きわたあめ焼鳥林檎飴が私たちを待ってる!」
「やーだって……」
 しかしそんな些細な抵抗は無意味。みのりは湊の腕をむんずと掴み、無理矢理立たせて、ぐいぐい前へと引っ張りだした。無気力かつ無抵抗な湊は力の流れのままに、手を引かれて廊下へ飛び出す。
「あ」
 やっと思考回路を起動させたのは玄関に着いた頃。
「本忘れた……」
「れっつごー!」
 瞬間ガラガラピシャン、と雷鳴のような音をたて、壊れそうな勢いで引き戸が閉まった。

【疾走】
【富士峰通】

 百鬼夜行は年に一度開催される、黄昏寵(たそがれちょう)で一番大きな祭りである。
 主役となるのは百匹の妖怪たち。黄昏寵の住人の中から妖力の高い者が百匹選ばれ、通りを大行進する。見た目はとても華やかだ。妖怪たちは酒を煽り、提灯をぶら下げ、いろんな見世物をする。派手とすら云える。――まあ、妖怪たちは目立つのが好きなので仕方ない。よく調子に乗って家が火事になったり、倒壊したりするのが問題だが。
 屋台も沢山出、花火も上がるので、近隣住民はこぞって参加する。
 そして出無精な湊は毎回渋るが、結局みのりに連れられ屋台に繰り出す羽目になるのだった。
「家で花火が見られたらそれでいいんだけどなぁ」
 というのが毎回の湊の云い分だ。
 そして決まって、
「せっかくの百鬼夜行なんだから参加する!」
 とみのりに説教される。
 今日は先ほど買った、てらてらと赤い林檎飴を鼻先に突き付けられている。これはたこ焼きの爪楊枝だったり、焼きそばの割り箸だったりと毎年違う。
 提灯や屋台の橙で照らされた闇の中。赤いのが目の前でちょいちょい揺れる。
「大体、百鬼夜行はご近所との顔合わせも兼ねてるんだって前から云ってるじゃない! 日頃お世話になってる人に挨拶しないと!」
「そういうこと絶対だよね此処。めちゃ窮屈」
「私は人付き合い薄いとこよりいいと思うけど?」
「まあそれは僕も思うけども」
 湊が動いた。
 みのりの手を自分の手で固定し、林檎飴に大口でかぶりついた。
 ガリッ、と音。
「!?」
 みのりの反応は大きかった。
「ん。甘」
 舌で唇を一舐め。湊の正面で、みのりはかなり動揺した様子だった。
「ちょっ――びっくりさせないでよ――」
「みのりちゃん顔赤い」
「黙れ加虐趣味!」
 湊の口元がゆっくり釣り上がる。
「その加虐趣味に世話焼くみのりちゃんは被虐趣味だったりして」
 瞬間、みのりの頬がさらに、かーっと朱に染まった。
「――とまあ、それはただの意地悪だけど」
 手を離す。
「みのりちゃん可愛いし良い子だから、誘いも沢山あるだろ? 僕に構ってないでそっちと行ってきていいんだよ」
 腰まで届く艶やかな黒髪に、控えめに付けたカチューシャ。手足は長くすらっとしているし、顔立ちは人形みたいに整っている。
 性格も、気は強いが非常にまっすぐだ。云動には筋が一本通っていて、ぶれない。はきはき喋るしいろんな人から頼りにされている。
 そんな彼女が、引きこもりな自分に構う理由がよくわからない。幼なじみではあるが、みのりは湊と付き合ういわれもないし義理もない。自分は今の生活態度が性に合っていて、それを帰る気もない。
 なのに彼女は自分を引っ張り出してしまう。無益だとわかっているだろうに。――それが湊には不思議でたまらない。
「――――っ」
 しかし、みのりは悔しそうに口ごもった後。
「あんた多分、私が何で自分が付き合ってるかわからないんでしょうけど! 私が湊と過ごしたいだけなんだからね!? 構ってやってるんじゃなくて私が構いたいの!」
 彼女は叫んだ。
 叫んだ後、一拍置いて茹蛸になった。
「――――」
 湊は呆気に取られている。完全にまさかそんなことを云われるとは、と思っている様子だ。みのりは一瞬だけ、上目遣いにそれを見て、
「――陰気で引きこもりで本馬鹿で加虐趣味で薄情だけど。別に湊を変えようとか、幼なじみだから面倒見てやろうなんて思ってない、私がそうしたいから我が儘云ってるだけ。そこ、勘違いしないでよね――」
 と、消え入りそうな声を出した。
 やっぱり耳まで真っ赤だった。
 いつも堂々としている彼女の、いっぱいの照れだった。
「――そっか。ありがと」
 湊はくすりと、微かに笑う。
 ちなみにこの湊という少年は滅多に笑わない、そもそも表情が全く変わらない体質であり、いつも人形のように頑なな無表情を貫いている彼のよりによって笑顔というのは――みのりからすればかなり破壊力があった。
 結果、彼女は心拍数の増大と頬の更なる紅潮という大被害を受けることとなり。
 林檎飴を発火させた。
「あ」
「きゃ!?」
 思わず割り箸を取り落とす。落下した飴は地面にべちゃりと着地。どろどろに溶けた紅色と生焼けの林檎を周囲に撒き散らした。
「あーあー」
「やだ勿体な――」
 しかし覆水盆に返らず。というか覆飴割り箸に返らず。
「しょうがない、僕が新しいの買ってあげよう」
「え? え、いや、別にい」
「それともこっちがいい?」
「それはいらない」
「おいしいのに」
 ポケットから取り出した飴玉が、至極残念そうに元の場所に戻る。
 中身は彼がいつも食べている、でっかい赤色の飴玉だ。駄菓子屋ななくまのおばあちゃん特製、だが近隣では湊くらいしか食べない。
「あんたの活力補給用の食べ物渡されてもねぇ」
「じゃー行ってくる」
 湊はせっせとその場を立ち去る。
 みのりは大きく溜め息を吐いて、火照った頬をそっと、掌で包んだ。

【暗転】

【白樺通】

 笛の音が木霊する。人の形をした者から完全に異形の見た目をした者まで、沢山の住人が目の前を通っていく。そろそろ百鬼夜行が通るから、物を食べるからと、二人は炉辺に座り込んでいた。
「花火いつからだったっけ」
 林檎飴を早々に平らげ、焼きそばに手を出したみのりがぼやく。
「もうちょっとじゃない?」
 答える湊は、ラムネの瓶を提げていた。少しだけ振ると、ビー玉が転げてコロコロ鳴る。
「おー、駄菓子屋のばあちゃんとこのと、反物屋の娘さんやないか」
「あ、どうもこんばんは」
「なんや、二人でお楽しみか?」
「違いますよ!」
 冷やかしが時折飛んできて、その度にみのりが一人慌てている。対応をみのりに全て任せている湊は、高みの見物を決め込みながらラムネを煽る。
 喉の奥で、しゅわしゅわと空気が弾ける。甘ったるい液体が体を満たしていく。
 カラカラ、と音がする。
 冷たい。
 夜に焔が灯ったかのような、提灯の橙色。通り全体に張り巡らされている。
 喧騒。
 空気。
 遠くから近付いてくる、太鼓の音。笛の音。
「みのりちゃん、行進来たんじゃないの」
「え!」
 横を向いていたみのりが慌てて振り向くと、先頭がもうこちらにやってきていた。提灯の光が集まって、大きな光を生んでいる。からの大きいがしゃどくろや大入道は、もう姿が見えていた。
「ほんまやほんまや」
 和服姿の男が、みのりの隣に落ち着いた。笠吹通で占い師をやっている男だ。よく当たるとの評判が湊の耳に入るくらいの有名人である。
 確か名前は――飛鳥、といったか。
 目の上に手でひさしを作り、占い師は夜行の方を観察している。
「ありゃー、もう相当できあがっとるみたいやな。大将さんもベロベロやで」
「飛鳥さん、こんなところから見えるんですか?」
「見える見える。あ、やばい」
「え」
 飛鳥が耳を塞いだ瞬間、空と黄昏寵が白く輝いた。
 周囲で悲鳴が挙がる。
 遅れて、バリバリバリバリ、と雷鳴。
「うわあ!?」
 鼓膜が裂けそうな音に、全員思わず耳を塞ぐ。
 沈黙。
 置いて、遠くから大爆笑が鳴り響く。
「――っびっくりしたぁ!」
「おお、耳が潰れるかと思った」
「ほんま無茶するわぁ」
 しかし百鬼夜行は、こちらの苦情も跳ね返しそうな陽気さで前進してくる。見えなかった妖怪たちの輪郭もはっきりとして、ついには大行進の全貌が姿を現した。
 壮観なのだが。
 中身は非常に凶悪だ。
 ろくろっくび、鬼、からかさ、火車、のっぺらぼう、何でもいる。酒入りの瓢箪を振り回し、提灯を手にして、ふらふらふらふらと前進していく。
 全ての上に被さるのは、高笑いだ。弾けるような、弾くような、大きな男の笑い声。どうやら通りの遥か頭上、がしゃどくろの手のひらから発せられているらしい。
「あれ? おまえ湊じゃないか」
 が、声の持ち主はそんな台詞と共に、下界へ降りてきた。
 妖怪の群れをかい潜り、真っ白い骨の上に乗って、湊たちの前に姿を現す。
 緋色の着流しの男だ。若くも見えるし中年にも見える、騙し絵のような風貌をしている。
 名前は朔楽(さくら)。黄昏寵で一番力のある妖怪で、百鬼夜行の発案者だ。
普段は山で寝ており、気が向いたら寵内を冷やかしたり、はた迷惑な思い付きを実行したりする。実に酔狂で素っ頓狂な妖怪だ。
 しかしこの男、何故かしちくま屋をえらく気に入っており、何十年も前からの常連なのである。湊のことも勿論知っている。しかも生まれたときから。
「珍しく穴倉から出てきたのか! よいことだ、ゆっくり楽しんでいけ!」
「あー――ありがとうございます」
 はっはっはっは、と歯切れのいい笑いが挙がり、朔楽はまた空へ引っ込む。朔楽は祭りごとやら酒やらが大好きだ。盛り上がれば盛り上がるほど調子に乗り、元気になる。今のご満悦な表情を見るに、百鬼夜行は今年も滞りなく進んでいるのだろう。
 ぞろぞろと百鬼夜行は進んでいく。
 来るまでは遅かったのに、来てしまうと数分もいなかったような気がしてくる。
「ハァ。毎年よくやりますよね」
 湊のぼやきに、飛鳥は楽しそうに笑った。
「朔楽サンが言い出したことやしなー。でもこれ妖気を皆に分けて、ついでにどんちゃん騒ぎで寵内盛り上げて、活気を蓄えよーって祭りなんやろ? ええやん。思いやりに溢れとるやん」
「まー確かにそうですけど」
「皆と繋がってるって感じでええよなー、こういうの」
 みのりも飛鳥の後ろでうんうん頷いている。
 だが湊の表情は浮かない。二人ともそれに気付かない。
 太鼓と笛の音が遠ざかっていく。橙の塊も、遥か彼方に消えていく。
 カラン、とビー玉が鳴った。
 夜空に一つ、尾を引きながら線が挙がる。
 雷よりだいぶ大人しい爆発音の後で、黒の上に大きな花が咲いた。




二.

 祭りの終わった深夜。
 誰もいない通りを這う、一つの影がある。
 黒い布を上から被ったような。ずるずる、ずるずると、それは道を進む。
 そして。
「――ああ」
 角を曲がったところで、学生服の少年と遭遇する。
「嫌だなぁ」
 先に動いたのは影だった。
 伸び上がる。少年を包むように飛び掛る。それに彼は、敢えて腕を伸ばして触れた。指が触れた途端、紫電が走る。
「――――」
 妖力の吸収。
 影はみるみるうちに小さくなり、消えた。
「あんたは早く処理できていいねぇ」
 少年の後ろから声が挙がった。
 下駄の音。角から現れたのは、蝶々柄の浴衣を着た、勝気そうな女だ。肩に巨大な鎌を担いでいるが、平然とこちらに歩いてくる。
「しっかし妖気の濃さは毎度すごいと思うわ。祭りの後片付けは面倒だけど、歩いてるだけで回復できるからこの空気は好き」
 彼女は大きく伸びをする。
 少年は何も云わない。ただ黙って歩いていく。次の影を仕留めに行く。
「相変わらずつれないねぇ」
 知らんぷりだ。
 百鬼夜行は、黄昏寵や住人へ妖気を与えてやるもの。しかし黄昏寵には、迷い込んだ人間の魂が浮遊している。
 強すぎる妖力に当てられた魂は悪霊となり、先ほどのように他のものを襲う。自分の中の渇きを満たすために。
 だから百鬼夜行の後は、閻魔大王の下で働いている死神を金で貸し出してもらうのがならわしだ。魂を回収することに関しては、死神が一番適任である。黄昏寵からも手の空いているもの、悪霊を倒すのに都合のいい力を持つものが狩りだされる。
 学生服の彼もまた、例外ではない。人であったものを滅することがどれだけ嫌でも、これが『後始末』で、『仕事』だ。
「あんたは人間びいきだよねぇ。鬼は大体がそうだけどさ、あんたのはちょっと行き過ぎてるように見えるね」
 反応などどうでもいいのだろう、死神は少年に話し掛け続ける。鎌をくるくる回しているところを見るに、暇なのだろう。
「そんなに申し訳ない? 助けられなかったことを後悔してる?」
 返事はもうないと思われた。
 しかし、少年は口を利いた。
「さぁ――でも僕は、生きるために人間にお世話になってますからね」
 懇意にするのは当然でしょう。感謝するのは当然でしょう。
 少年は捨て台詞のように告げ、その場を去った。
 右手のポケットから飴玉を出して、口に含みながら。
 黒い背中から視線を離さないまま、死神は一人目を細める。そして鎌を止め、肩に担ぎなおして、
「あほらしーの」
 とつまらなそうに吐き捨てた。

 影の絶えた通りのどこかで。
 コロカラ、と澄んだ音がした。

【終幕】